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第一講義 「災害図上訓練(DIG)を用いたまち育て人育て」 北海道教育大学教育学部札幌校准教授 佐々木 貴 子 |
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皆様こんにちは。ご紹介を頂きました佐々木です。私は北海道教育大学に着任して7年目になりますが、今日の午前中に初めて北海道教育大学岩見沢校へ行って参りました。 2000年に函館校に着任しましたが、本学の再編統合にともない、函館校が教員養成課程から人間地域科学課程へと変更になりましたので、昨年、札幌校へ参りました。私が2000年から、災害図上訓練(DIG)を使いながら、まち育て・人育てというテーマで取り組んできたワークショップは、これまでで300回くらいになります。今日は、これまでのワークショップを踏まえながら、皆様にお話をしたいと思います。 私は釧路市の生まれです。釧路は地震の多い街ですので、小さな時から親から地震を踏まえたしつけを受けてきました。玄関では履物を揃える、必要な物しか玄関に置かない、枕元に洋服をたたんで置く、コート類は手元に置く、就寝時、物を出しっ放しにしない(整理整頓をして寝る)、避難経路には絶対に物を置いてはいけない、家具は出入り口を塞がないようにする、布団は大きな家具の前に敷かない、このようなことが「いざは普段なり」だと(家庭教育・しつけとして)教えられてきました。親は自分の命は自分で守るということを、小さい時から教えてくれたのだと思います。そして、私の家では地震後に必ずしていたことがあります。それは、揺れが収まった後、両親が外へ出ていたことです。子供ながらに「地震が収まったのに、なぜ両親は外へ行くんだろう」と思いました。そうすると隣近所の人と「大丈夫だった?けがはなかった?」と交わされる声が聞こえてくるのです。 また、我が家では、夜中に起きた地震の際、再度寝る前に必ずすることがあります。それは、玄関と居間の電気を点けて寝ることです。理由がわかりますか。港の近くに住む親戚のため、と言えば分かると思います。津波です。津波を予想して、居間と玄関の電気を点けて寝るのです。今のように情報が的確に出される時代ではありませんから、自分たちで「この地震だと津波が来るかもしれない。危ないから逃げた方がいい」と察知すると、親戚の者たちは、高台にある我が家へ来るわけです。その時に、我が家が真っ暗だとチャイムを鳴らして家に入って来ることができないだろう。だから、家の中では寝ているけれど、いつでも親戚の者が入って来られるようにと、玄関と居間の電気を点けて寝るのでした。これは今で言う、共助の精神、つまり地域の人、家族・親戚の人々の命は地域皆で守っていく、そういう意識のもとで行われていたものと解釈されます。 私も1955年、高度経済成長時代に生まれてきた人間です。この時代は、第一次産業から第三次産業になり、会社人間が増え、団らんが減る。核家族化して子供の部屋が確保され、子供が尊重される。学歴社会になるので子どもたちは塾通いをし、家での手伝いは減少していく。電気製品の充実で家事が能率化され、女性はパートで外へ出て行く。テレビが普及し、情報が簡単に入手できるようになる。隣近所の付き合いから、仕事やサークル仲間への付き合いになっていく。そういう中で、私たちの世代は若い人たち対して地域コミュニティ、つまり町内会や隣近所の大切さを教えてこなかったのではないかと思うのです。 私は大学で「生活と防災」(函館校での講義名)や、「子供・地域と防災(防犯)教育」(札幌校での講義名)などの授業を行っていますが、その際、学生たちに「あなたたちは自分の家から出て、下宿などをするようになった時に、親から『その市に住むということは、新しい町内会の一員になるのだから、町内会費を払いなさい。あなたが歩く道の電灯は町内会が払っている。ゴミの始末も町内会でしてくれるのだから、月200〜300円の町内会費くらい払いなさいよ』と言われた人」と挙手してもらいます。誰もいません。町内会費が幾らかも分からないし、今は不動産会社が全部やってくれるから、町内会などなくてもいい、そういう学生たちも増えてきました。「町内会費くらい払いなさい」と言うと、「先生、学生割引きはありますか」などと言います(笑)。社会学の先生が学生たちに「向こう三軒両隣」という言葉を聞いたことがあるか尋ねたところ、「何となく分かる」とは答えるものの、「聞いたことはあまりない」という学生が大半です。中には、「向こう三軒とは向かい三軒だろう。両隣は隣のことだから分かります。でも先生、後ろの家は入るのですか」などという質問も出るのです。そして、多くの学生は「隣近所に挨拶などはしていません」これが、現状なのです。このようにみると、私などが経験してきた自助の精神、共助の精神を、我々世代が次世代に教えてきていなかったのだと、つくづく反省します。 国土交通省が調査した、「大都市圏におけるコミュニティの再生・創出に関する調査結果」を見ると、都市化が進んでいる地域ほど、地域の付き合いやコミュニティの意識が希薄であることがわかります。でも、地域コミュニティは、住みやすさに大きく影響していると言われます。では、住みやすさとは何なのか考えると、災害や犯罪などの「いざ」という時に、住民同士が信頼し、助け合う意識が強い地域、それが住みやすさであると多くの方が答えています。では、そういう地域がつくられているかを尋ねると、多くの自治会や町内会は、なかなか上手くできていない。特に、災害時の対応として(防災や防火について)は、高齢化が進んでいて、いざというときに備えて皆が安全で安心できる暮らしをすることが難しくなっている、それが地域の課題であることが、調査の結果からはうかがうことができます。 防災や減災対策の基本は、自分の命は自分で守る、自分たちの地域は自分たちで守ることだと、強く言われています。そして、地域防災力の向上が強く望まれています。阪神淡路大震災以降は、本当に多くの自治体が地域防災力の向上に取り組んでいます。ただ、災害に対して意識が高いところは、自ずから自分たちの地域の防災力を向上させようと努力していますが、災害に対する意識が低い地域に対しては、地域の防災力の向上を図るための何らかの手立てが必要となってきます。 では、皆さんにお尋ねしますが、「いざは普段なり」という言葉を聞いたことがありますか。2人ですね、多くの方は知らないのが現実です。私は各地で開催されるワークショップで参加者の皆さんに尋ねているのですが、北海道の場合、帯広くらいまではこの言葉を知っています。石狩管内、函館、旭川に至っては絶対地震は起きないと思っている方が多いのでしょうか、知らない方が大半です。そのくらい、北海道は地域によって災害に対する意識が違うのが現状です。それなのに、地域の防災力を向上させようと言っても、住民たちは「地震なんて起きないよ。あなたは釧路だから地震、地震と言うんだ。」と思われるのでしょうね。でも、ここ札幌周辺にも石狩低地東縁断層帯というのがあって、阪神淡路大震災と同じくらいの確率で地震が起きるかもしれないんだよと話すと、「そんなことは知らなかった」と言います。でも、これが北海道の現状です。 私は、災害図上訓練(DIG)を用い、ワークショップを行っています。DIG(ディグ)とは、災害を想像しながら、地図上でゲーム感覚で訓練する、Disaster Imagination Gameの略です。DIGという言葉自体には掘り起こすとか、探求するという意味があるので、それにDIGという言葉をかけたと言われています。この災害図上訓練は、私が開発したものではありません。元防衛庁職員であり、現在は富士常葉大学の准教授である小村隆史さんが、この名称をつけたと言われています。私が調査を行ったところ、災害図上訓練を最初に考え出したのは三重県鈴鹿市の南部美智代さんを中心とするおばちゃんたちで、その後、三重県の職員や小村さんたちが発展させていったものであることが分かりました。 DIGという名前を小村さんがつけたので、災害図上訓練(DIG)と言うと、彼らが考え出したものと思われていますが、その根底には住民の思いと願いがあったのです。南部さんたちは、鈴鹿にある「くすのき園」という特別養護老人ホームでボランティア活動をしていたのですが、阪神・淡路大震災の後に「くすのき園」で、被災したお年寄りを10名ほど預かることになりました。職員たちは現在いる高齢者のお世話で手一杯で、とても困っておられたため、南部さんたちが「私たちでよかったら」とこの被災したお年寄りのお世話をすることになったのがきっかけでした。そして職員の方々と一緒に、お年よりの面倒を見始めました。お年寄りたちは慣れてくると、寝ても覚めても「神戸の家に帰りたい」と言い出しました。「おばあちゃんの家はもうないんだよ」と言っても、「家はあるよ、壊れたのを知ってるのかい、私が住んでいたんだよ」と何度も家を恋しがります。そこで3月になって、南部さんたちは数人の歩けるお年寄りを連れて、神戸の自宅まで一緒に行ってみました。「ここいらへんだよ」とは言うものの、おばあちゃんの家はない。「派出所で地図を貰ってきましょう」とお巡りさんから地図を貰っても、「あのあと火事になって大変だった。この辺りは取り壊されたよ」と言われる。でもおばあちゃんたちは、それが分からない。何度も何度もその周辺を見て歩き、最後に言ったのが「やっぱり私の家はなくなったんやねえ」という言葉だった。 納得しただろうと三重県に帰ってきて、10日間くらいは「家はなくなったんや」と諦めていた。ところがしばらく経つと、「私は死ぬんやったら、やっぱりこんなとこで死にとうないわ。三重県なんかで死にとうない。やっぱり神戸がええわ」と言った。その言葉を聞いた時に南部さんたちは、もし南海地震が起きると言われているこの鈴鹿で地震があったら、ここのおばあちゃんたちも同じことを言うのだろう。では、鈴鹿は災害に強い街なのだろうか。鈴鹿は伊勢型紙の発祥の地で、とても道路が狭いのです。防火水槽があったり、消防車が入って行けないため、辻々にはポンプやホースが設置されているようなところです。私たちは、どこにどんなお年寄りが住んでいるか、知らないのではないか。そういう地図を作らなければならないと思ったのが、1995年3月だったと南部さんが教えてくれました。 その後、南部さんたちは、1年をかけて手作りの地図を作っています。ところが、この地図を使って、どこに誰が住んでいるのかがわかるような名簿を作ろうとした時に、地図が当てにならなくなってしまった。つまり、お年寄りが亡くなってしまったり、引っ越したりと地図に変化がでてきてしまったのです。地図を使って、誰が誰を助けるかを具体的に考えていきたいのに、地図の修正をしているだけでは時間が惜しいと思い、三重県職員の平野さんに相談しました。「南部さん、それはいい。私も単なる避難訓練ではなく、実質的に地域に役立つものができないかと思っていた。何とかできないか考えてみましょう」ということで、一緒にやることになりました。その時に、小村さんが地図作りに労力をかけるべきでない、防衛庁では既成の地図にシートをかけて、その上で毎日訓練をしている。ゼンリンの地図を利用させてもらえばいい、と言われた。それから、住宅地図を使いながら、何度も試行錯誤を繰り返しながら訓練を重ねて、1998年1月に三重県からDIGとして、全国へ向けて発信したと聞かされました。 私は、南部さんが一生懸命「地域のお年寄りの顔が見えんとあかんのや。地域にいる子供の顔が見えんとあかんのや」と言われたことが、とても印象に残りました。そして私は、2000年に函館に移る際、このDIGを絶対に地域で実践したいと思いました。当時私は、千葉大の工学部に社会人入学をしていましたが、その時、千葉大の延藤安弘教授(現 愛知産業大学大学院教授)が私に、「函館のHは橋渡しのHだね。DIGを抱えて北海道に渡りなさい。10年かけてこのDIGを全地域にもたらし、皆が使いながら、まち育て・人育てができるように頑張りなさい」と送り出してくれたのを覚えています。
これが学生たちと一緒に町内会へ行った初めてのDIGです。この茶髪の学生たちは、ファシリテーターをしています。ちょうどこのおばさんの家の前に、この学生が住んでいました。「ねえ、あなた、私の家の前に住んでるんだから、私がどうかなった時は助けに来てくれる?」、「おばさん、僕が最初に助けに行きますよ」「そうぉ?」などと言って大笑いしているところです。
これは災害時要援護者、聾唖者と手話通訳の方々が行ったDIGです。この時、手話通訳の方が「聾唖者を助けるのは私たちです。何が何でも私たちが助けに行きます」と言われていました。ところが、DIGをやりながら、道路が寸断され渋滞しています。もし、手話通訳者の隣のおじいさんが家の下敷きになり、動けなくなって助けを請うている時に、「聾唖者がいますから、あなたは助けられません」と言えますか。そういう話をしているうちに、私たちの考え方は間違えていたのではないかと気づきました。何があっても聾唖者を助けられると考えていたけれど、いざという時に、普段と同じように聾唖者のところへ行くことができるのだろうか。色々な状況で行けなくなるかもしれない。本当は聾唖者の人が「ここに住んでいるので、何かあったら頼みます」と、町内会の人に自分から言わなければならない。自分から声を発するべきだと、私たちが聾唖者に伝えなければならない、ということに気づいたのです。そしてこの方たちは、毎年、聾唖者とともにDIGをやり始めました。
これは2001年度に、函館市立大川中学校で家庭科の授業を行った際の風景です。翌年は小学校の「総合的な学習の時間」で子どもたちと一緒に学習しました。この学習後には、町内会の皆さんに学校へ来て頂き、学習の成果を発表しました。その内容を紹介します。「僕たちの学校は避難所です。でも、僕たちの学校には何もありません。避難してくる時には枕や毛布も必要です」と子どもたちが町内会の皆さんに一生懸命に話しました。この学習では、子供たちが救急救命士の方から応急措置の方法を習い、町内会長さんたちに実際に三角巾を巻く方法を見せました。ハイゼックス(高密度ポリエチレン)でご飯も炊いて、食べてもらいました。会長さんが「こんな袋でご飯が炊けるんだね。おいしいね」「いざという時は、こんなご飯でも食べなければならないんですよ」と子供に言われ、とっても喜んでいました。
これは旭川です。防犯の視点からもDIGを行いました。この時、「こども110番の家」を探す指示をしました。このおじいちゃんは、孫も大きくなっているので、「こども110番」が何か分かりませんでした。小学校4年生の女の子が「何かあった時に私たちが逃げ込めるように、お家にこども110番の家と看板が貼ってあるんだよ。コンビにもそうだし、郵便局もそうなんだよ」と教えました。そんな会話を地図上でしながら進めているところです。 南区役所から真駒内地区でのDIGを頼まれました。
次は中学校でのDIGの様子です。小・中学校へもだんだん広まってきて、多くの中学校でDIGが実施されるようになって来ました。函館市立深堀中学校の中学生たちが町内会長の指示のもとで、色々な書き込みを地図にしているところです。これは、先ほどの江別の手話通訳の方々が、2002年のDIGをきっかけに継続的な活動を行ってきた成果です。2006年7月に江別で行われたDIGには、聾唖者と一緒に参加しました。今では聾唖者と一緒に、江別で行われる色々な研修会に積極的に参加し、何かあった時、情報を皆で共有する方法を考えて下さいという投げかけを発信しています。
DIGをきっかけに具体的な取り組みをしている所では、青柳町会の例です。自分の命は自分で守る、町内会の人の命は町内会で守る、そのためには資機材が必要である。まず資機材を整えようと始まったのが、函館市の青柳町会でした。この方々は資機材を入れる収納庫をどうするかで、困ってしまいました。私の家は、茨城県守谷市にあります。そこには「すずめ公園」という公園がありますが、この公園には滑り台1基とブランコが2台だけで、真ん中は広く開いています。隅には水道の蛇口と、大きな収納庫があります。そこで年1回、11月の第2週に餅つき大会が開かれます。町内の人は200円を持って「すずめ公園」に集まります。町内会の役員は、収納庫に入っている資機材を全部ブルーシートの上に広げるのです。何かあった時にこの公園に来れば、スコップ、リヤカー、ジャッキもある、ということを知らせるためです。この収納庫に入っている資機材は、町内会のものです。毎年200円ずつ集まったお金で、お米を備蓄しています。それを炊いて、豚汁などを作って食べます。これを毎年行っています。収納庫をどうするかの話の中で、茨城県にはそういうものがあると話すと、「ここは北海道で、雪が降ったらどうする」と函館の住民たちに怒られました。雪があったら、公園には行けません。でも、関東にはないけれど、北海道にあるものがあります。「町内会館に資機材を入れてはどうか」と安易に言ってしまいました。「そんなことを市役所が許すはずがない」という話でしたが、その後、市役所からOKが出て、函館市は町内会館の中に資機材が保管されるようになりました。色々な町内会館があるので、町内会の方々の知恵も進み、町内会の外に収納庫を作ろうという取り組みも出てきました。リヤカーや、簡易的な水汲みのポンプ車等も買い、皆で訓練し始めたのが青柳町会です。
こちらは函館の元町町会です。「先生、マップ(Map)の時代は終わったよ。これからは、ワップ(Wap)の時代だよ」と町会長さんから言われました。ワップとは何だろうと思いました。これは、ウォーキング(Walking Patrol)パトロールの略で、自分たちで作った言葉でした。函館ではワップの活動が始まっています。ワップは、町内会を幾つかの区に分けていきます。例えばある区に住む人は、買物にも必ず同じ道を使って、下まで行かなければなりません。その時にただブラブラ歩くのではなく、昨日と今日とでは何か違ったところはないかなと疑問を持ちながら、キョロキョロしながら歩く、それがワップです。月1回、ワップの報告会も行っています。ここでは、「特に変わったことはありません」「八幡坂の工事が終わりました」「元町31−4の長屋の屋根の一部がはがれて、風に飛ばされそうで危ない」「それについては指示を出しました」など、色々なことを話し、自分たちなりに行政に働きかけて改善してもらうということが、このワップからできてきました。
私たちは、多くの方々にファシリテーター(指導者)として,DIGを多くの地域に広めていって頂きたいと、大学の地域連携事業の一環として、ファシリテーター養成講座を実施しました。一昨年は函館で、昨年は江別で開講しました。地域の防災力を向上させるためには、行政の支援が必ず必要です。でも行政は、非常に短期間で何をやったか評価を出されなければならない。そのため、すぐに結果が出ることを強く望みます。でも、この地域防災力を育てるということは、並大抵な努力ではありません。私は学校教員歴としては、中学校の教員を14年間しました。中学校3年間だけで子供たちを満足に育てることはできません。小学校6年間、中学校3年間、高校3年間で色々な学びを通して、一市民,一住民となっていくのだと思います。人を育てるのには長い目が必要です。したがって,DIGにしても,ただ、単にワークショップをやらせっ放しであっていいのか。そうではありません。DIGワークショップで住民たちの意識に働きかけ、何かアクションを起こしながら、それを継続させていく手間も必要になってきます。このDIG つまり災害図上訓練は,行政と一緒にやっていかなければ、ただ単にワークショップをやって,何らかの気づきは生まれただけのイベント的なもので終わってしまうのではないかと思います。
これは、厚別区役所が支援をしている例です。DIGでは町内会の地図を用い、自分の家はどこにあるか、避難所はどこか、病院はどこか、食料を調達するコンビニはどこですか。自宅近くの消火栓はどこですか、公衆電話はどこにありますか、ということを地図上で皆で探していきます。つい一昨日、厚別区で行った際、消火栓の位置が分かりませんでした。いつも見ているのに、あまりにも無意識で、どこにあるか分からない。この橋は何年前にできましたか、橋げたは大丈夫ですか。土砂崩れが起きるような場所はないですか。渋滞する道路はありませんか。もし火事が起きて避難所までの道が通れなかったら、避難所へ行けますか。そうしたことを地図上で行います。
昨年、岩見沢市立上幌向中学校で行ったワークショップでの話です。岩見沢には救急車が何台あるか尋ねました。5台あるが、フル活動しているのは4台くらい、というような話になりました。災害が起きた時、上幌向地区まで救急車は来てくれるだろうかと訊くと、50名近くの地域の方と中学生が声を揃えて「無理だろう。来ないだろう」と言いました。この地域は病院も遠く、いざという時どうするか尋ねると、あるおばちゃんが「皆で何かをやるしかない。心臓マッサージも応急処置もしなければならない」と言いました。すると中学生の女の子2人が、「保健体育の時間に、救急救命の授業を受けました。三角巾も使えるし、応急処置も教えてもらったよ」と話しました。するとそのおばちゃんは、「それはすごい。何かあったらあなた方が一生懸命やらなきゃならないんだよ」「えー、体育時間で習ったことが、こんな風に役に立つんだ」。それを聞いていた校長先生は、「いかに学校教育だけで終わっているんでしょうか。子供たちが学んだことが地域で活かさないといけないですね」と言われました。
厚別区はDIGを通して、避難所「DIG」をしました。これは、避難所になっている小・中学校を具体的に見ていくということです。当日、札幌市立ひばりが丘小学校へ行くと、住民が開口一番「スリッパは?」と言います。「災害の時にスリッパはありませんよ」という声に「あっ,そうか。スリッパを用意しなければいけないな」ということに。また,こんな話から,「避難所の小学校では,全部の教室や備品を使わせてもらえるのだろうか」という疑問が出されました。校長先生が「大変恐れ入りますが、体育館のみになっております」と言われました。体育館のトイレを見に行くと、段差があって、男女1個ずつしかなかった。校長先生からは「この学校はバリアフリーになっています。もし何かあれば1階の障害者用のトイレを開放しますよ。」という話がありました。
今、札幌市では「まちづくりセンター」が機能しています。まちづくりを推進するため、地域のまちづくり活動の拠点となるのが「まちづくりセンター」で、札幌市には87ヵ所のセンターがあり、主な活動としては、まちづくりの活動の支援や、各団体のネットワーク化の支援、地域情報の提供を行っています。「まちセン」というのは、区と住民の間にあるセンターです。ここで白石区の例を紹介します。これは、北白石の「まちづくりセンター」の小島所長が作ったパネルです。まちづくりセンターが中心となり,各町内会に働きかけてミニ「DIG」を実施し,各町内会での気づきを大切にしながら,住民の成長を支援しています。ミニ「DIG」とは,地域で行うDIGですが,これはDVDをみながら,その指示に従ってDIGを行っていくのです。昨日の講演会で,パネラーとしてお話をされたインタラクションの安田さんがコーディネートをし、北白石まちづくりセンターで実施した「DIGワークショップ」の様子をビデオ撮りし,それを編集して『ミニDIG』のDVDを作成しました。北白石まちづくりセンターは、このDVDを様々な人たちに貸し出ししています。私がいつも行ってDIGを教えるわけにはいかず、ミニ「DIG」として、主要なものが記録されているので、このDVDを見ながら自分たちでDIGをすることができます。北白石におけるDIGの経過ですが、2005年に私がDIGを教えに行きました。その時、まちづくりセンターの所長は谷田さんという方でした。その谷田さんから頼まれて指導に行ったのですが,地図上で作業を進めていった時に,住民の方から「先生、こんなことできないよ」と言われました。ちょうど個人情報保護条例が決まり、1週間ほどの時で、皆さんこの条例をしっかり知っていました。そして,「個人情報がこの地図上には全部載っている。だから,こんな地図を使って、DIGなどはできない」という反発でした。
私は,谷田さんに「続けますか。それとも止めますか。もし続けるなら、なぜこれが必要なのか,私が説明しますか。それとも,谷田さんから皆さんに必要性を話されますか」と相談すると、「北白石のまちのことだから、私の口から話します」とおっしゃいました。そして「皆さん、北白石で何か災害が起こった時、このまちは一人も残さずに助けられるまちになっていますか。今の状況だと、不可能ではないですか。人の顔が見えていますか。何かあった時、北白石では何人が死亡した、地域住民の協力がなかった、そんな風に新聞に書かれても、皆さんは恥ずかしくないのですか。私は嫌です。この北白石で死人やけが人が出た、そんなことは言われたくありません。いいまちにしたいのです。だからこれをやりたいんです」とおっしゃいました。この言葉を聞いていた住民たちは、所長がそう言うのならやろう、ということになり、この北白石DIGワークショップが無事に開催されたのです。その後すぐ、北郷真栄第一町会はミニ「DIG」を何度も行い,防災マップを作りました。また,防災サポート隊も作りました。 その後,北白石まちづくりセンター所長は,谷田さんから小島さんに代わりました。この際、谷田さんは谷田メモを残しています。そこには、「DIG」はとても素晴らしいものなので、これを基盤に、必ずDIGからの具体的な取り組みに入ってほしい」という願いが秘められていました。小島さんはそれを踏まえ、ミニ「DIG」をどんどん展開しています。昨年、「北海道クローズアップ」というNHK番組にも取り上げられ、防災サポート隊は北白石に定着しています。 防災マップの活用事例として、北郷真栄第一町会は、札幌市との除排雪のワークショップの原図として利用し、町内会でどのように雪かきをすればいいか、と考えてこのようなものも自分たちで作り上げました。また、ゴミステーションの広報マップ版を作ったり、DIGの実施によって次々と活動を生み出し頑張っています。しかし、それを支えているのは何かというと、まちづくりセンターの所長さんが、地域への思いを次へつなげるために、自分がやってきたことを全てメモにして残し,次の人へ渡す。それを受け取った所長さんは,前所長の思いや願いを受け取り,それに恥じないように頑張って,また次へ伝えていこうと努力する。この姿が、DIGの発展につながっていっていると思います。
この図は小島さんが作られましたが、DIGの場を活用し、皆が共通理解することにより、防災、防犯、環境、福祉と、全てがつながっていきます。防犯から入ってもいいでしょう、防災から入ってもいいでしょう、どんなところから入っていいと思います。福祉から入ってもいいのですが、中学生に福祉の授業を行った際、「まだ50年も先のことだから・・・」と言います。確かにそうです。若い人たちに福祉といってもなかなか実感が沸きません。お年寄りに子供たちの防犯といっても、実感がわきません。でも、防災は、どんな人にも襲ってくるものです。災害を防ぐことを前提にすることで、共通に理解することができます。このサポート隊は、色々なところで活動を広げています。今年の7月7日には,北海道教育大学の「子ども・地域と防災(防犯)教育」の授業の一環で、北白石地区の住民の方々にお願いをし、学生たちと一緒にまち歩きをしていただきました。昼食時には,ハイゼックスという高密度ポロエチレンで炊いたご飯とカレーを一緒に食べました。このように若い人たちにもDIGを広めていきたいと考えています。ただ,それは学校教育だけではできません。このような機会を利用しながら地域とつながり、このようなワークショップを展開し、学生たちにも自分たちが地域の力になるということを感じとってもらいたいと思うのです。特に,将来教員になる学生たちには,このような体験をさせたいと思います。この7月7日は、学生たちがとても生き生きとしていました。普段は机上で防災について学んでいますが、実際にまちを歩きながら、おじさんたちがまちのことを沢山知っていて、色々教えてもらう中で、「重い物を持てるのは若者だし、身軽に動けるのも若者なんだよ。何かあった時に中心にならねばならない」ということを教えられていました。 今、防災、防犯から、福祉への展開として、行政の保健部局、福祉部局全てがつながり、名簿づくりなどの活動をしています。このDIGをきっかけにして,つながりがつくられつつあります。ただ,DIGは単なる気づきを生む手段ですから、この手段をいかに活用し、次へ進めていくか。それが,「まち育て」であり「人育て」であると思っています。育てていくためには、DIGができても駄目なわけです。DIGを活用していく,そのためには行政や周りの支援がなければなりません。そうでなければDIGは単なるイベントで終わってしまいます。ここにおられる皆様も、こうした手立てを使いながら、安全なまち、安心して住める、住みよいまちづくりへつなげる「力」になって頂きたいと思います。高齢者も子供も、障害がある人も皆、地域で暮らし、生きている。「分かち合う幸せ」を求めるならば、そこには「分かち合う責任」もある。そういうことを共通理解とし、より良いまちづくりに励んでいきたいと思っております。どうも有り難うございました。 千葉企画委員長 どうも有り難うございました。先生のお話を伺っていますと、昨日話題になったSocial Capital、人間関係性の強さを改めて感じることができました。会場の皆様からご質問を頂きたいと思います。 眞嶋教授 私は現在は一般会員ですが、都市地域学会の会長をしておりました。今日は非常に感動的なお話を頂きました。私は北大で延藤君と同期ですが、私の専門は住宅政策、今はむしろ居住政策の転換を迫られ、研究を続けています。その点から、今日のお話は大変役立ちましたが、皆が分かるような情報媒体を教えてください。先ほど、北白石まちづくりセンターでDVDを貸し出しするということですが、書籍であるとか、一般の人の目につくような媒体があればお教えください。 佐々木講師 DIGとインターネットで検索すると、本当にたくさん出てきます。北海道では、道が2004年から全道に広めており、今年も8支庁を回ってDIG講習会を開きます。ただ,職員に講習しても2年ほどすると部署が変わるので、毎回教えなければなりません。札幌市も職員に教えるようになってきました。また,職員がDIGをできるようにして,各地域で積極的に取り組んでいます。DIG自体は色々なところで実践されているので、皆さん知っているのですが、場所ごとに少しずつ違っています。最初、南部さんに北海道へ来て頂き、DIGをやって頂きました。南部さんは関西弁で勢いよく話すため,函館のおじさんたちは圧倒されて、ついていけないという感じでした。それで私は、土地、土地でのDIGがあるのだろうと考え、私は今,北海道のDIGを実施しています。 眞嶋教授 私も住宅の面で、日本は南北に長い国ですから、北のはずれと南のはずれでは、住宅も全然違う、というところから研究を始めています。それぞれの地域に合ったやり方、住まいだけでなく、様々な問題が出て来る。そういう意味で、非常にいい取り組みをされていると感激しました。 千葉企画委員長 講演が始まる前、佐々木先生に少しお話を伺いました。ハザードマップとの関係はどうでしょうか、補完的に進めればいいんでしょうか、というお話をしました。時間切れで詳しくお聞きできなかったので、この場でお願いできますか。 佐々木講師 直接的なハザードマップとの比較ではありませんが、実際に300回くらい地図上で色々やっていきますと、男性と女性の目が違うことに気づきます。男性は地図を見ながら、ハード的なことを頭に描きます。例えば、この道路は国道何号線で、この道路は市道である、よくそんなことを知っているな、と思うようなことにすごく詳しい。ところが、そこに三輪車があったり、赤ちゃんの下着が干してあっても、それを注意深く見ることもないし,そんなことに関心もない。でも,女性は三輪車や赤ちゃんの下着をみて,ここには子どもがいるんだなと感じるのです。つまり、まちというのは、男性と女性の視点で見方が違ってくるのです。ハザードマップは,誰がどう作ったのかが問題です。まちの人たちが,男性も女性も子供も皆で作ったハザードマップならいいと思いますが、現在のものは行政で作ったハザードマップです。私は、ハザードマップはなければならないと思いますが、住民の目で、住民の生活で見聞きしたことがこの地図に載っていき、自分の地域の災害について共に考えられなくてはならないものだと思うのです。町内会活動といえば、ほとんどは男性です。今は婦人部の活動も出てきましたが、男性の目だけでなく、女性の目も地域にはとても大事であると思いますので、自分たちの地域を、自分たちの目で見て地図を作り、地図上で訓練をしていく、そのようなDIGが大切と考えています。 眞嶋教授 私も最近町内会を始め、女性のパワーのすごさをひしひしと感じています。外部には男性の顔が出る場合が多いのですが、実際の町内会の活動における女性の見識と行動力は強力なもので、全体的にバランスよく展開するようになればいいと思います。 千葉企画委員長 同感でございます。ハザードマップはいわば一次情報であり、それをベースに多面的な情報を入れながら、災害時の訓練をシミュレートすることが大切だと改めて思いました。 山田(岩見沢市議会議員) 上幌向で先生が実践され、また呼ばれているという話を伺ったのですが、子供や町内会を含めて、DIGを行う規模はさほど大きくなくて、小さなまちを目線で見ることにより、防災だけでなく防犯も考える時期にきているかと思います。私はお話を伺いながら、DIGの規模は関係ないと思ったのですが、どのような規模で、どこまで入り込んでDIGを活用できるのでしょうか。 佐々木講師 お母さんたちのサークル10人くらいで始めました。江別では学生たちも、町内会の人たちで280名でした。これはやりこなしましたが、皆が満足できなかった。やはり対話方式で、皆が十分に意見を言い合える時間・場所がなければならない。また、地域のことを町内会や地域の人は発表したくてたまらない。そういう時間もとるようにすると、余り規模が大きくない方がいいと思う反面、先日の近文小学校では120くらいでした。時間ですが、2時間といわれればそれでできるし、4時間かけることもできます。皆さんだいたい3時間くらいのコースでと言われますが、先日の厚別では「3時間も?」と言われました。しかし、「え、もう3時間?」と言うくらいで、自分たちがただ人の話を聞くのではなく、地図に情報を書き込みながら言い合っていくので、3時間でもあっという間のように思います。ですからその規模、時間の制約も、対象によって変えることができると思います。 千葉企画委員長 それではこれで終了させて頂きます。先生、どうも有り難うございました。 |
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