![]() |
第二講義 「中心市街地活性化の隘路」 札幌大学経営学部教授 千 葉 博 正 |
![]() |
![]() |
これから先は司会も進行も一人で、文字通りマッチポンプでございますので、ご協力をお願いいたします。 さて、本日のテーマは「中心市街地の隘路」です。ご承知のように、中心市街地活性化の制度そのものが手直しされ、都市計画法が一部改正され、少し仕立て直しになりました。その背景と、そのように仕立て直しになったが、まだ十分ではないところがあるのではないか。あるいは、制度としてはこんなところだが、実際上はまだ課題が残っているのではないか、といったことを次の順番でお話させて頂きます。 1.まちづくりの問題と構図、2.制度政策上の要因、3.商業者の要因、4.まちづくり問題の解決に向けて、この順番でお話いたします。 まず、まちづくりの問題と構図ですが、外部要因、制度・政策上の要因、商業者の要因を模式的に示しました。それぞれの要因が相互に関係し合って、解決しがたい状況になっています。順番にご説明すると、外部要因は考えてみればたくさんありますが、その主なもの、直接関係があると思われるものを大きく二つに分けました。一つは、地域経済政策の欠如で、雇用機会の創出、空き店舗の増加等に対して、経済政策として十分に対応できているのか。はっきり言いたいのは、自由放任主義市場の失敗であると考えています。これはあくまで私の整理であるとご理解願います。二つ目は、コミュニティの崩壊による伝統文化の衰退です。こういったように、地域経済が大変厳しい状態になっていると思います。政治が、富の再分配をするものであるということを大前提に考えれば、今の政治の有り様、特に地域経済に対する政策は、本来の機能を果たしているのか、というのが私の基本的な疑問であります。 2番目ですが、不動産市場の機能不全ということです。具体的には、郊外部の大規模遊休地の処分事業は、依然として続いていると思います。特に農業用地の処分事業が根底にあるので、郊外部への何かしらの売却欲求、逆に言えば、大型施設への誘致という需要圧がずっと続いてきている。もう一つが、住み替え需要支援策の欠如です。郊外に戸建て住宅を建て、アメリカンドリームを享受していた団塊世代が、そろそろ疲れ切った状況の中で、都心部のマンションにでも移るかといっても、ローンは払い切っていないし、どうしよう、ということがあちこちであります。昨日、黒川先生が、郊外の一戸建て住宅の夢はずっと続くのか。安全・安心な居住状況になっているのかと言われ、私も全く同様に思います。こういったことを今までは、理念的な側面からの議論が多かった。それはそれで結構ですが、不動産市場に着目した場合、上手く解決できる仕組みがあるだろうか。このことは、後述する商業者の問題とも無関係ではありません。逆に、こうしたことが今の空き店舗対策等に対する、大きなネックになっています。 制度政策上の要因ですが、政策視座の欠如と、中活政策上の不具合の二つに分けて整理しています。政策視座の欠如ですが、土地利用政策の不整合、これは大規模遊休地の処分事業と対を成す状況であります。都市施設整備の不整合ですが、一部の自治体では郊外部に公共施設を立地し、市街化拡大の後押しをするような都市施設整備の方向性があった。これからは少し改善していくべきではないか。いわゆるコンパクトシティを目指すなら、そんなことが依然として進むようなら、具合が悪いということです。 都市計画上の商業立地政策の欠如ですが、これは私共が何年も前から申し上げてきました。私自身も北大の土木で、都市計画やまちづくりの話を学生たちにしようと思うと、通常使われているテキストの中で、商業立地論、立地に関する部分はごく僅かです。用途地域の中で、色が塗ってあるくらいでしかなかった。そもそも商業立地の理念をどう考えるか、という議論もほとんどない。それが行政の都市計画の政策になってきた。都心部と郊外部とのバランスをどうとればいいか、そんな議論もほとんどないままでした。ですから中活を作って、上手くいくはずがない。実は1から3については、今回の都市計画法の改正の中で、それなりの対応策がとられたやに思いますが、私は依然として問題が残っていると思います。 地域の参加型まちづくり制度の不備ですが、特に土地利用のことなど、地域の方々が自らつくり上げるまちづくりの中で、きちんとした位置づけで活動ができる仕組みになっているだろうか。一から十までボランティア的な活動として整理されていたり、一部のディベロッパーが無理な動きをしたり、そんなことがなくはない。反省も含め、行政以外に、まちづくりの主体が存在しないような制度になっていないか。それを総じて政策視座の欠如としてまとめています。 もう一つ、中活政策上の不具合ですが、これも制度ができた時から、二本立てで窓口が二つ、どちらに行けばいいのか、といわれてきました。車軸のない2輪制度、具体的に言えば商業部局と建設部局との連絡のなさということです。私はこういう立場ですから、あちこちの商店街の方々とお付き合いがあります。まちづくりの議論をすることが多くあります。商業者の方々ですから、まずその地域の市町村の商業課その他の部局へ行き、相談します。窓口の公務員の方は、自分たちの所掌範囲ではない。これは建設部局関係だなあと思いながらも、我慢強く商店街の方々の話にお付き合いする。その結果、商業者の方は行政に話を聞いてもらえた、これでまちづくりの計画を進められると計画案を取りまとめる。ここまでくれば、建設畑にも話をつながねばならないと、建設部局に話が行きます。建設部局では、市長もやれと言うので、やりましょう、ということになりますが、必ず調査費をつけます。いきなり事業を始めるわけではない。誤解を恐れず申し上げていますが、場合によっては、民間のコンサルタント会社に委託したとします。頼まれた方も真面目ですから、一生懸命取りまとめて提出します。その案と、商業者の人が作った案が、必ずしも一致するとは限りません。全く別のものが出来上がってくることが多い。 皆様のお叱りを覚悟で申しますが、仮に私がコンサルタント会社であったら、事前の調査で商業者の考えを取り入れれば、地域の合意も得られるからと、取りまとめて提出したとします。建設部局からは「本当に仕事をしたのか。同じではないか」と言われかねない。困ったなあと思っても、別な図面を持っていかないとお金が貰えない。そういうことになっておりませんでしょうか。お叱りもあるでしょうし、そうでない事例も承知しております。ただ私は、多少そういう傾向があったのではないかと、誇張して申し上げました。 このように全く違ったものが出て来るものですから、商業者の人も戸惑うわけです。どこかで上手く調整されて、お互いの方向性が認知し合い、お互いの立場が理解できれば、全く問題ないのですが、今まではそうではなかった。車軸がないから、走るはずがありません。 各種事業主体の明確化、人材不足、環境整備事業メニューの貧困、これはどちらかと言うと、国交省の色々なメニューが硬直化していませんか、という話です。例えば、中心市街地にどんな施設が求められているか考えると、今の国交省の街路や都市公園の事業メニューの中だけでは、不十分であるという気がします。もう少し事業を豊かにしてほしい。もう一つは、経産省にも注文をつければ、実業が分かっていないままの事業の仕立て、メニューづくりが今までなされてきたのではないか。例えば何年か前、パティオ事業がありました。これは、ヨーロッパの地中海あたりによくあるパティオを作ろうとするものです。真ん中に広場があって周りに住宅が建ち、コミュニティの場として使えば人が集まる。確かにそういう空間があれば、上手くいくわけです。ところが、パティオとして活用できる広場、中庭のようなところを、誰が用意するのですか。経産省の事業メニューでは、パティオ事業はコンパクトに5人からスタートできる。第1回目は九州の大川市でやりました。見に行ったところ、それなりのものを作っていましたが、色々話を聞くと、長くは続かないと思いました。案の定、数年で話を聞かなくなりました。原因は簡単で、広場の費用を誰が負担するのでしょうか。個人事業者が全部負担する仕組みなわけです。そんな馬鹿なことを誰ができますか。土地の高いところで、公共的な空間まで事業者が負担しても、収益はどうなりますか。 私共は少し前から、平岡のジャスコ屋内の中央ホールで、平岡地区の文化祭「平岡楽座」を開いています。ジャスコも商店街の人も最初は疑っていましたが、色々説明し、うまく展開して今年で6年目です。ジャスコ本社では平岡の例は大変有名で、NHKでも取り上げられ、全国放送されました。ジャスコの平岡の店長は、「先生、これは大変いいですね。本社からもどんどん展開するよう言われています。でも、こんな空間でも準備するのは大変です」と言います。それはそうです。商業施設はお金をかけて作ったところですから、床当たりの収益を考えれば、いくら大資本といえども遊ばせられる状況ではないわけです。一方でパティオ事業は、個人事業主が準備しなければならない。これはやはり無理です。同じような問題が幾つかのまちで起こっていますが、実情を知らない事業メニューを幾らやっても、難しいということを申し上げたい。 次に商業者の要因ですが、それでは商店街に全く問題がないかというと、こちらも問題山積です。商店街組織の限界性ですが、まず商業者の人たちが、自分たちで作っている振興組合、商店街の会といったものを、どう認識しているか。経済団体としての認識、具体的に言えば、販促活動をするための経済団体であるという認識しかない。しかも、全く企業性を持たない、半ばボランティア的な団体ですから、大型店に対抗して戦略的にマーチャンダイジング、マーケティング調査を行い、タスクフォースとしての動きができるかといえば、ほとんどできません。私共も長年、色々な商店街の方とお付き合いしていますが、まず無理です。非企業家集団ですから、果たしてそれで闘いができるか。最初からできるはずがありません。しかも、それを変えていこうという努力もありません。どこに課題があるかすら、認識していないのが実態ではないかとすら思います。この辺をどうするかということです。 では、大型店側には全く非はないかといえば、大きな問題で、社会参加意識がほとんどない。経済合理性だけで、それは仕方がないのかもしれません。大型店の店長は、2・3年であちこち異動しますから、その地域に対するご自身の、あるいは所属する企業の社会的な責任として、地域の伝統文化に手を貸し、高めていこうなどとはゆめゆめ考えてもいない。ですから今、地域貢献を求められても、商工会議所に加盟する以外出てこない。商店街も何をすればいいか分からず、お互い顔を見合わせている状況ではないでしょうか。 もう一つ、都市計画に関する理解不足ですが、これは後に詳述したいと思います。大型店の一部には、都市計画に対して大きな勘違いがある。今の都市計画の中活の問題その他にしても、商業問題のために何かが動いてきたように誤解されかねない、報道の仕方、情報の流れ方があるだろう。確かにそういう側面はありますが、それだけではない。成長管理政策等、色々なコンパクトシティが提唱されてきた経緯その他を見れば、何も大型店問題だけのために、そういう議論が出て来たはずがないわけです。これはこの場におられる多くの方々が、当然のこととご理解されていることだと思います。ただし、大型店側の一部の方々には、そういう理解がありません。大型店の方々には、何のためにこんなことをやるのか、経済活動の手足を縛るだけではないか、という議論がほとんどでしょう。その誤解をどうやって解いていくのか、ということであります。 一つ一つ、もう少し詳しくお話したいと思います。まず、制度政策に関する部分ですが、日本商工会議所が今般の都市計画法一部改正に先立ち、中間報告を出しました。その提言要旨ですが、私がさきほど挙げた土地利用政策の不整合、都市施設整備の不整合、都市計画上の商業立地政策の視座の欠如の三つ、それぞれについてどんなことを指摘しているのか。まず、まちづくり基本法を作れと言っています。これは内閣府の所管で、コンパクトシティを目指す方向性を、基本法として示せということです。私はこの日商の中間報告を見て、かなりレベルが高いと思いました。日商の内部部局の政策能力の高さは、地方の比ではありません。整理をしながら、よく勉強しているとつくづく感心しました。まちづくり基本法を作った上で、各地にまちづくり条例を作らせ、制定を促進させなさい。先ほど申し上げた、地方参加型のまちづくり制度は、ほとんどない。あちこちにバラバラにあるだけです。また、都市農村計画法を作れと言っています。前述のように、郊外部での大規模遊休地の処分需要圧は、つまり遊休農地をどうするかに関係します。これも昨日、黒川先生が言われました。土地利用の法制度を統一せよということです。 それから、都市計画法を改正しなさいとうたっています。中間報告にありましたが、最終報告で非常に大事な部分が抜けました。それは、開発許可における裁量基準を新設せよということです。考えてみれば、行政の政策内容としては難しいところがあると思います。微妙な問題だと思っていたら、最終案では抜けました。また、広域調査基準、広域土地利用マスタープランを作れと言っています。また、大規模集客施設立地法、店舗、アミューズメント施設が対象で、立地アセスメントを実施せよ。地域貢献、撤退時の措置などの義務化、かなり先進的ではありませんか。農進法の除外案件は、法定の機関にて審査、審査委員に住民団体、商工会議所等の団体を含むこと。中活政策との整合性を確保せよ。大規模農進除外案件について、市町村による協議の申し入れができるようにせよ。続いて、都道府県、国の調整が入れるようにせよ。これは担当部局の方が見ても、驚くような内容だと思いませんか。かなり勉強して、きちんと提言しているわけです。そして農地法を改正しなさいということです。農用地転用許可基準を見直し、農業委員へ参加できるようにする。転用許可不要とされる公共施設も、許可案件にしなさい。農地転用選考・申請についての公告制度を行え。これはかなりな内容だと思います。 最終的には削られた部分もあり、最終的にはかなり微妙なことになりました。具体的には、例のスーパーチェーンの団体が動いて、一部、問題があるという状況も生まれました。幾つかポイントを挙げると、地区計画についての改正です。地区計画に対し、開発整備促進区を作ることにしました。具体的に、以下の条件に該当する地域が該当することになっています。イ.現に土地の利用状況が著しく変化しつつあり、または著しく変化することが確実であると見込まれる区域。ロ.特定大規模建築物の整備により、商業その他の業務の利便の増進を図るため、適正な配置及び整備する必要がある。要は、大型商業施設が立地しやすい、立地することを想定した整備促進区であります。両方をなだめようということかもしれません。 この制度はいいとして、私が気になるのは、都市計画の提案制度です。これは先般の改正の一つ前に創設された制度です。自主的なまちづくり増進のため提案できる人は、土地の所有者、借地権者、まちづくりNPO法人、営利を目的としない公益法人、今まではここまででした。ところが今般の改正で、経験と知識を有し省令で定める団体を加えた。これは国土交通委員会の議事録第11号に、局長の答弁として載っていますが、内容は何かと言う質問に対し、過去に一定規模以上の開発事業を行った者を想定していると答えています。具体的に言えばディベロッパーです。そういう人が提案できる人、提案権者という言葉を局長は使っています。権利者ですから、かなりな位置づけだと考えられます。提案権を持っている人間に提案されれば、それに対する責任ある処置の仕方をしなければなりません。こうした時、地域の開発は、全体バランスがとれるのでしょうか。土地所有者が3分の1以上といっても、5,000u買い占めてしまえば、3分の2集めることは難しくも何ともない。 どうすればいいか。商店街の方等に尋ねられると、私は必ず、都市計画審議会にきちんと人を送り、議論ができるようにしなさいと答えることにしていますが、そこでしか、まともな議論はできないでしょう。ところが、そうしたことに対して、商業者の方々は方法論として意識しないのが実態です。これが隘路の一つでもあるわけです。 地域参加型まちづくり制度の不備ですが、熊本をはじめ、あちこちでまちづくり条例を作っています。今までは、どういう条例で、どういう内容であればいいのかが、あまり整理されていない。様々なまちづくりの案件を見てみると、長期的な計画・提案は商業者、商店街の方だったりという事例が多い。ところが一方で、マンションの日照問題だとか、個別案件の問題解決型は、地元住民からが多い。直接、利害関係のある方々による案件が多い。これはごく一般的な話です。そうすると、個別の問題解決型を排除するわけではないですが、将来を見据えた議論をする場合、こうした実態を考えておくべきだということです。また、行政内部に地域提案計画案件処理のスキームが欠如している。行政における商業問題の知識不足、理解不足。地域主体計画づくりの人・金不足。地域主体計画における透明性、公平性の確保。住民の合意形成等、非常に大きな問題です。 平成4年に総理府が、全国のまちづくり条例や運動について調査しました。そのレポートを見ると、大きな問題点として真っ先に挙げられるのが、地域合意ができているのかが曖昧であるという指摘です。取りまとめ役の重要性ということもある。だからこそ、まちづくり組織を認知するようなことをしなさい。まちづくり条例を作り、まちづくり組織を認定する。まともなところかどうか、ある程度整理してもらわないと、反対側に組みする人たち、ディベロッパー側に組みする人たち、どっちもどっちですが、一部の方々の動きで物事が右往左往してはいけない。やはり、バランスのとれた地域合意が必要になります。さらに、税金を使ってまちづくりの支援を行うからには、相手がどんなところか確認することは当然のことで、それが制度化されていない。私が参加している商店街学会としても、その点を提言したことがあります。 具体的にまちづくり条例にどんなものがあるか。大体4パターンに類型化できます。立地強制型は、立地場所の制限または誘導するようなもので、京都が代表的です。営業時間調整型は、本来のまちづくり条例には馴染まないと思いますが、これは旧大店法のようなものです。交通騒音などの生活環境に配慮する生活環境型は、大店立地法でやっているようなことです。大事なのは地域貢献促進型です。よく言われるのは世田谷区の条例ですが、世田谷区は、産業振興条例のような性格のものの中で謳っているのであり、必ずしもまちづくりの条例ではない。地域貢献促進型は、日本では大型店に対するものと理解されていますが、私は本来そうではないと思います。どんな業種でも、地域で経済活動を行う上で、その地域に何らかの貢献をするのが当たり前ではないか。翻って考えると、日本の自動車メーカーがアメリカに進出した時、最初は全く受け入れられなかった。毎日教会に来ない、地域活動をしていない、アメリカの生活文化に無関心で何も地域に寄与していないとボイコットされました。ソニーもそうです。まず地域活動から始めたというのは有名な話であります。国内事情も全く同じではないか。業種・業態に全く関係ない、企業体はすべからく社会的な責任があるという気がしています。 次に中活制度上の不具合ですが、具体的にはコミュニティ広場やフットバスを作ってはどうか。屋内公園を作れるような、国交省の公園事業も考えられないか。更に、用地買収で公園施設を作らねばならないとは限らず、借地でもできます。今から4年ほど前、私は小樽の都市計画審議会会長を務めました。その時、小樽市がたまたま借地公園を持っていました。旧拓銀が持っていたグラウンドを預かり、借地公園に位置づけ整備しました。 次に商業者の要因を申し上げます。まず、大型店側の都市計画に対する理解不足です。今年4月に道新が中活のことや、まちづくりについて話を聞きたいので、日曜版でシリーズ化している「対論」に出てほしいと言われました。当時のポスフール社長の植村さんが私のカウンターパートナーで、別々に取材を受け、両論が併載されました。植村さんはその後、北海道イオンの社長になられました。植村さんの言うことも尤もですし、直接的な反論ではありません。その際に、ちょっと被害者意識がお強いのでは、と思いました。というのは、今般の都市計画の改正は、大型店側に対する締め付けである。都市計画でなぜそんなことをするのか、そのようなお気持ちと察しました。 都市計画の大きな流れをもう一度考えてみれば、古い時代では財産権の重視です。これも昨日、黒川先生が言われたかと思いますが、市民と個人は違うだろう。市民は、市民権を背景にした概念ではないか。その通りだと思います。近世の頃に、専制君主の国家から市民貴族と言われる人達が、自分たちの財産権を確保するために戦ったのが、いわゆる市民革命と呼ばれる動きです。そういう時代ですから、土地利用や建築の自由は最大限保障されるべきだと考えていました。ルネッサンス、バロックの頃を経て、近代国家になり都市整備が進む上で、バロックの時代は市民貴族、商業貴族の人たちが自分のビジネスのためにまちをつくった歴史があります。だからこそ、土地利用の自由だったり、建築の自由が最大限に保障されるべきという考えでした。その後、産業革命が終わり、都市が拡大し、公衆衛生上の問題がどんどん発生しました。 近代になって、土地利用を秩序化しよう、建築規制をしようということになった。モータリゼーションが進展し、都市が過密になる、農村が過疎化する、やはり積極的なコントロールが必要であるという大きな流れで見れば、自由気ままな経済活動その他に委ねていたのでは、都市環境はバランスを欠くということです。そういう大きな流れの中で、まちづくりの政策が展開してきているわけです。 都市計画は、オーケストラの指揮者であるとよく言われます。都市計画とは、社会的、経済的必要性と調和した、都市施設の発展・整備を形成し誘導する科学であり、技術であり、政策である。これはあるヨーロッパの都市計画学者が言われたことです。そこで改めて考えてみると、都市計画は確かに政策科学であり、社会的、経済的な必要性と調和することを前提に、バランスさせながら具体的な、フィジカルな、物理的な整備を進めていくのですが、決して社会計画や経済政策そのものではないということです。ですから、大型店のための経済政策ではないわけです。 コンパクトなまちづくりが、その後、政策の大きな方向性として出たわけです。なぜコンパクトなまちづくりなのか。コンパクトシティなのかと言えば、今申し上げたように、都市環境が次第に悪化してきたから、これでは駄目だということになったわけです。ヨーロッパを見れば、様々な法制度が展開され、クラッセンやパーリックという方が、都市の発展段階説を発表しました。これは1980年代のことで、日本からは京都大学の山田浩之さんが参加してまとめました。 コンパクトシティについては本も発行されており、サスティナブル・コミュニティの議論の中から、この概念が生れたと説明されていますが、私からすると少々違うのではないか。少なくとも私が承知している限りでは、それよりもっと前、1973年にダンシングとサーティというアメリカのオペレーションズ・リサーチの先生が、共著で「コンパクトシティ」を書いています。それは、5キロ四方の中に200万人が生活することは可能なのか、数学的に分析しました。要は、あまり資源の無駄遣いをせず、コンパクトな住まい方をし、エネルギー消費を抑え、クオリティを高めていこうということです。ですから、大型店をいじめるためでも何でもない、と言いたいわけです。ところが我が国では中活政策が機能不全になっていたので、そのようなマスコミ報道ばかりが展開し、商業者の方々も勘違いをしたのではないかと思います。 さて、それではこれからどうするか。コンパクトなまちづくりに関する国、道の取り組みは色々ありました。都市機能を充実させるためには、どうすればいいか。都心部に憩いの空間を作れ、というのが私共の主張の一つですが、その他にも種々あります。地域住民のための公共・公益施設の運営、これは例えば指定管理者制度の活用もあるでしょう。地域コミュニティの充実、これは昨日から議論されてきたことです。まちづくり組織・団体の拡充・連携、商業機能の充実、コミュニティビジネスの開発等々…しかし隘路があります。それは、先ほど申し上げたように、商店街組織がある種限界性を持っているということ。生活上、性格上、法制上そうであります。もう一つは、外部条件として、プロデューサーが不在であるということです。プロデュース、プロモートできる人がいない。これは非常に不幸なことです。また、支援制度の不備、限界性があります。 色々文句を言いましたが、ではどうすればいいのか。昨日、太田さんからPPP、NewPPPのお話も出ましたが、企業の地域貢献を義務化する。あともう一つ非常に大事なのは、税制のコントロールだと思います。黒川先生も言われましたが、これからの都市政策の方法論の一つは税制だと思います。これをしない限り、あまり効果がない。また、Public Involvement、空間整備利用の柔軟化、屋内公園の整備や運営のコミュニティビジネス、私も今ちょうど、札幌の緑地協会の理事として、公園管理の工夫をお手伝いしています。 では今、都市空間の中で、どんな空間が求められているのか。去年、帯広で市民の方々にアンケートを行いました。年代別にどういう施設が求められているかを訊きました。どの世代でも大きなパーセントを占めるのは、集会場、読書・休息ができるような空間、街中の空間です。ヒアリングをしますと、「お金をかけずに」ということです。お金をかけず、のんびり街中で過ごせる空間がほしい。これをどうやって作るか。商業施設の中に作ろうとしても、収益が上がらないので無理です。結局、公共的な空間に作っていくしかないが、そういう事業メニューにはなっていない。海外では実現しており、非常に羨ましい。 これはバンクーバーの都心部、ロブソン通りの一番端にある建物ですが、市立図書館です。エントランスの周りは全部、フードサービスのショップです。日本の図書館とは大違いで、コーヒーを買って、書棚にある新聞や書籍を読んでも文句を言われない。館内は無線ランでパソコンが使えるので、私もここで道新のヘッドラインを読んでいました。1階ではバンクーバーの交通局が、冬季オリンピックのためにスカイトレインを増設するので、その説明会をしていました。 日本でも似たようなことをやっているところがあります。青森の「アウガ」です。最初は商業ビルを計画しましたが、途中でうまくいかなくなり、市立図書館を入れた。中は普通の図書館ですが、商業施設の中に入れただけで大変な効果が出てきている。このほかに公共的な助成に頼らないで人をたくさん集めて有名になっているのが、高知県の「ひろめ市場」です。フードコートを例に挙げたのは、日本国内には商業施設内のフードコートがありますが、ここほど気楽に、買物もせず一日中椅子に座って、おしゃべりができるような空間はそう滅多にない。日本中どこも収益第一ですから。高知県の帯屋町商店街は日本でも力のある商店街で、地元の建設会社が再開発を計画したのですが、駐車場を作ったところで頓挫し、帯屋町3丁目の商店街の人たちに活用を持ちかけ、サンセット方式で始めました。800席のフードコートで、周りは約4坪のショップがならんでいて、無料で好き勝手に人が過ごせます。私共も何度も行きましたが、学校帰りの女子高生が、8〜9時までノートを広げて勉強していました。そのくらい安全・安心で、金を使わず気楽に過ごせる場所として機能しています。 参考までに申し上げると、仕掛け人のお嬢さんが、貯金と父親の援助で素敵なショップが開けるくらいの、規模と仕組みを作ろうと考えたそうです。お店を開くには、飲食系の場合は厨房に一番お金がかかります。この点を軽減するため、共同の厨房にし、什器も貸し出す。洗い場の料金は別途で、やってみて分かったそうですが、洗い場を見ればお店の経営状況が分かる。少し様子が悪くなったら、早めにてこ入れをしてノウハウを提供したり、傷が深くならないうちに撤退を勧めるそうです。このように人の集まる広場を展開していけば、中心市街地の施設づくりになると思います。 最後に、いわゆる商店街の再興ですが、時間消費型、節約型色々あるわけですが、ただで気楽に過ごせる空間をどのように作るか。これが一番のポイントであります。また、これを商店街の方々だけでやれといっても無理で、支援策が必要です。それは、何か事業のプランを立て提示するだけでは動きません。その商売が当たるかどうかも分からずに、商店主に個人資産を投入しろと言われても無理です。一つは、商店街の組合が企業化し、先行的に当たりをつけてからメンバーに橋渡しをしたり、起業者を捜したり、そのくらいのことをやらなければ駄目です。もう一つ、空き店舗対策では、あちこちにシャッター通りがありますが、ある程度の資産を持っている方もいます。売却しなければならない人もいますが、私共が接した範囲では、売らなくて済むのなら売りたくない、個人に貸すのは抵抗があるが、商店街が組織として借りたいのなら貸す、という方が結構多い。今の日本の借地借家の状況は、最初から最後まで、個人が個人と対峙して契約行為を全部やるという仕組みになっています。安心できるところに一度委ね、色々活用してくれるなら任せるということができない。私は今、帯広でお手伝いをしていますが、商店街の方に、60年定借で組合が借りるような提案はできないのか訊くと、「考えていなかった」と言われます。買うよりも資金繰りが楽だと思うのですが、なかなか実現しません。 しかし、静岡県の呉服町商店街の例があります。ここは名前にもあるように、徳川の時代からの有名な商店街で、力があります。高級店舗が多いのですが、ランドオーナー制度を採っています。これは、呉服町商店街の土地のオーナー、借地権者を集めた、不動産の勉強会です。これは大変うまく機能しており、それを仕掛けたのが池田前理事長ですが、最初に不動産の利活用から始めた。最近は、呉服町商店街の一角である店が撤退することになり、土地を売却するか、別の店が高い賃料で借りることになった。業種を訊くと、ちょっと具合が悪い。そうした事前情報が入ったのも、ランドオーナーをやっていたからこそです。商店街のイメージが落ちるので考慮を促し、結果的に押さえていた地元信金が理解を示し、家賃減額を覚悟で借り主を換えてくれた。それぐらいのことをやらないと、本当の意味での空き店舗対策はできないと思っています。 仮に貸すことになった時、そこでどんな商売を行うか、プレーヤーを連れてきて展開するくらいのことをしないと、地元の方だけでは無理です。そこをプロモートできる人、プロデュースできる人がいないのが大きな問題であると思っています。 その他課題はいろいろとありますが、本日は以上とさせていただきます。質問その他、ございますか。 岩見沢商店街振興組合役員 大変短い時間に、かなり充実した内容の濃いお話をいただきましたが、その中でコンパクトシティについて触れられました。北海道も、高橋知事がコンパクトなまちづくりを進め、岩見沢のマスタープランにも、コンパクトなまちづくりが書かれております。このコンパクトなまちづくりをするために、誰が、どういうふうに、いつぐらい、どういう手順でやるのか、全く見えてきていません。その辺のお話をしていただきたいと思います。 千葉講師 お答えになるかどうか不明ですが、基本的なマスタープランづくりは、現制度ですと行政の役目です。行政が、コンパクトなまちづくりをするという、方向性は打ち出しました。では実際に色々な建物更新をし、郊外部の開発案件が出て来た時に、どういうかたちで調整するのか。その仕組みは、どういうかたちでできるのか。最終的にその良し悪しを判断できるのは、その地域の都市計画審議会です。誤解を恐れず明言しますが、大概の場合、地方都市の都市計画審議会の中に、商業問題、特に商業立地問題や、都市計画について十分な知識を持った方が何人いるか。非常に危ういだろうと思います。ですから私は商店街の方々に、あなた方が勉強し、あなた方の考えを発言してくれる人を送り込まない限り、何もならないと言っています。会議は人数です。黙っていたら賛成したことになります。 もう一つは、まちづくり条例を行政に作ってもらうことです。私が今日お見せしたのは、札幌の商工会議所のある委員会で勉強会をしながら、まとめた提言です。商店街の方々に申し上げるのは、商店街振興組合法の目的を見れば、環境整備を謳っているわけですから、まちづくりの団体として充分な資質と歴史を備えている団体である。そのことをきちんと主張し、まちづくりの団体として認知してもらいなさい。ところが商店街の方々は、商店街は利益団体で自分たちが儲けるために何かやっている、と思われているわけです。先ほど、将来に向って前向きなプランを考えるのは、むしろ商店街の人が多いと話しましたが、そうしたことをもっとアピールすることが必要であると思います。 フロアから 大変具体的に色々お話をいただきました。少し乱暴な言い方かもしれませんが、中心市街地という言葉そのものが残っているのかと思うくらい、どのまちに行っても寂しくなっています。お話にあったように外部的要因、都市計画、土地利用、施設の問題や、まちづくり条例なども大事な視点だと思いますが、それを整備することは“劇薬”にはならない。今の時点では“漢方薬”になるかどうか、なかなか難しい中心街のあり方だと思います。別の視点として、まちづくりに中心商店街活性化が必要なのか。現在の岩見沢の場合、国道商店街がありますが、大型店があってこちらを振り向いてくれません。利便性やコストの問題もあり、どうすれば消費者が中心商店街にカムバックするか。ただ物を買ってくれと言っても、便利なところに行くわけです。ですから、中心商店街の活性化が、まちの元気回復にどうしても必要であるという定義をすれば、消費者は多少であっても戻ってくるのではないかと思っています。 もう1点は、岩見沢もコンパクトシティの方向ですが、私は青森のコンパクトシティ構想を勉強しました。岩見沢と同様に、量販店のせいで中心商店街がさびれたが、中心街をコンパクトにしたことで、消費者が戻ってきたという教訓もあります。コンパクトシティ構想を、中心商店街に小規模に適用できないか、お知恵を貸してください。 千葉講師 最初とあとの質問は多分裏表であると思いますが、まず、なぜ中心市街地活性化なのかということです。何年か前、全く同じ議論を、帯広の中心市街地活性化委員会の最初の会議でしました。そういう質問は当然だと思います。もう一度言葉の整理をしておきたいのですが、中心商店街の活性化とは謳っていません。中心市街地の活性化です。商業問題だけでこれを議論すると、あまり適当ではない。ではなぜそうした問題の立て方になったのか。今、商業問題だけでは誤解が多いと述べましたが、そうは言っても、きっかけは商店街の問題でした。平成8年くらいに、あちこちにこうした状況が出て来たので、当時の中小企業庁が、若手の課長クラスをアメリカに勉強に行かせました。日本の中心市街地、商店街に起こっている問題は、15〜20年前にアメリカで起こった状況とほとんど同じでした。1960年代くらいから、アメリカではダウンタウンの疲弊が始まりました。これは都市計画の分野では、60〜70年代、urban declineとして話題になった部分です。 そういう中で、アメリカではかなり早い段階から、都市再生のためには、中心市街地の社会的な資産を有効活用することが必要である。インフラ、下水道、公園、道路、その他たくさんの税金を注ぎ込み、長年の間、社会資産を充実させてきた。それを無駄にすることはできない。また一方で、郊外部に大きなショップが展開してきた。日本も同様の状況ですが、郊外展開した大型の商業施設が叩き合いをし、勝敗が出てきます。負けた方が、施設をそのまま放り出して撤退してしまい、そこが犯罪の温床になったりしました。郊外に大型店が展開されることは、市民ニーズを考えれば道路整備など、行政の環境整備の負担はゼロではなかった。それがすっかり無駄になる。1980年代くらいから、資源の無駄、市民から頂いた税金の無駄が発生してきた。これに対して都市計画を勉強している学者、その他色々な方々から、成長管理政策をとるべきだ。郊外は、郊外としての環境の良さを維持し、都心部は社会資産を充実させながら、無駄に使わず、クオリティの高い生活環境整備をしていくべきであろう。それに対して、工場も商業施設も協力すべきである。業種・業態に関わらず、大きなかたちでの都市政策に協力することが、アメリカの政策の基本でした。それはretail zoningという考え方です。 もう一方で、商業について言えば、それだけではダウンタウンの活性化は無理であるということで、CRM(Centralized Retail Management)という政策を打ち出しました。アメリカは、土地利用の政策と、商業力アップの政策の二本柱です。もう一度申し上げると、アメリカも日本の議論も全く同じで、中心市街地に従来形成されてきた、様々な歴史的資産を活用すること。また、郊外での資源の無駄遣いをしないことが、表裏一体です。 もう一つアメリカで議論になったのは、都心部には様々な文化の多様性がある。これを大事にするべきである。特にアメリカの場合は、人種問題など複合的に絡んでの議論でした。もう一つは、経済的な側面として、最近は日本でもよく言われていることですが、郊外部に展開した大型店は、それなりの雇用効果もあり、貢献していると言われますが、欧米の地域経済学、都市経済学を専門とする経済学者が言うには、都心部で失った雇用と、郊外部での新しい雇用をトータルに見ると、マイナスの方が大きい。雇用の創出、逆に言えば、都心部にもう一度雇用を作っていこうという議論もありました。それが、中心市街地の活性化、業務施設と商業施設の両方を充実させていこうということでした。ですから今のようなことになっている。併せてretail zoning、retail managementと言われているくらいですから、小売業の充実をその中に組み込んだ。 コンパクトシティについて言えば、今の通りですが、特に青森の場合は、郊外部の除雪費用問題が非常に大きかった。これも先ほどの枠組みから言えば、郊外部での余計な負担を減らすことと同じだと思います。 眞嶋教授 今の議論に関わって、同じ青森県の弘前市に土手町という古い商店街があります。そこでは「土手住」という運動をしています。つまり、土手町に住んでみませんか、というものです。これは何を意味するかと言うと、まちの人間には、商店などがあるかどうかではなく、生活があるということです。その生活の基本である住まいが、徒歩圏で色々なことができる。このことを、もっと重視していかなければならないと付け加えます。 千葉講師 sustainable communityということが言われていますが、持続可能ということは、あまり色々な手段を使わず、徒歩圏域の中で基本的なニーズを賄えることが、非常に大事であると言われています。先生が言われた通りだと思います。 ではこの辺で本日のセミナーを終了させていただきます。北海道都市地域学会として、最後までたくさんの方々にご参加をいただき、様々な議論が展開できましたことに感謝申し上げます。来年は帯広市の開催ですので、再び熱い議論が繰り広げられることを期待しております。どうも有り難うございました。 |
北海道都市問題会議の目次へ戻る | |
前のページへ戻る | 次のページへ進む |