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基 調 講 演 「行ってみたい都市の形成〜都市ツーリズム時代を迎えて〜」 大阪大学大学院工学研究科
教授 鳴 海 邦 碩 |
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◇青森生まれの私
皆様、おはようございます。先ほどご紹介にありましたように、私は海を渡った青森の生まれです。1歳の時に、ちょっと遅れれば一家全滅になるくらいの空襲に遭いました。朝方、母の予感があって逃げたところ、夕方から青森市が空襲にやられ、あやうく死を免れたわけです。その後は津軽、弘前で小・中・高校まで暮らし、関西の大学に入学しました。青森からの進学先は県外ですとだいたい東京とか仙台でした。札幌へ進学した友人もいますが、私はなぜか関西に行ってみたいと思いました。理由は、津軽弁には古い日本の言葉がたくさん残っていますね。私のことを「わ」、あなたのことを「な」と言います。私たちはこれを古文で習ったわけです。平安時代のその言葉が、現代に生きていることを学校で習い、その時、今でこそ日本の中心は東京だが、津軽などの地域は、日本海を通じて京都につながっていたと教わりました。それじゃあ京都にでも行くか、と。そういう点、多少あまのじゃくなところもあります。今回は第28回と大変由緒のある会議にご招待いただき、非常に光栄に思っております。 弘前で小学校6年生のとき、修学旅行で連絡船に乗り、初めて函館に来ました。どこに行ったかなどは忘れてしまいましたが、トラピスト修道院の尖塔だけは記憶にあるような気がします。その後、函館を訪れる機会はそう多くありませんでしたが、今回、久しぶりにこの街を歩いてみたいと思っております。 ◇社会主義国の経済開放から規制緩和を考える 本日の全体テーマ「都市蘇生」、あるいは「都市再生」という言葉は、なかなか難物です。私は今、ハノイの研究をしています。最近、旧社会主義国、今も基本的に社会主義ですが、経済の自由化を行った中国、モンゴル、ベトナムで、経済の解放によってどう都市が変わるかに、最近関心を持って調べています。自由経済とはなかなか難しい問題であると感じています。中国やモンゴル、ベトナムはそれぞれ国の規模が違いますから状況が異なりますが、類似の状況があります。経済の自由化によって、土地を持ち、土地を利用することが自由になるわけです。自由というのは、ちょっと表現が難しいのですが、基本的に土地は国家のもので、土地を利用することが従前より自由になってくる。そうすると、お金があればどんどん投資します。すると、無秩序、めちゃくちゃにまちが出来ていきます。それを防ぐために、私たちは都市計画をもって、そのルールのもとに秩序だったまちを造っていこうとしているわけです。 しかし、昨今の国の都市再生を見ると、そうしたコントロールを外した方が良いと言っています。そうすると、現在旧社会主義国が陥っているのと同様の状況になりかねない。せっかくコントロールし、環境の整備をしなければという考えにやっとたどり着いたのに、国は、率先して外そうと言っているわけです。この問題は違う場面でもっと議論しなければなりませんが、世界中を見ても、規制なく、無制限に何でも建ててよいという規制緩和で、成功した例はほとんどありません。建設投資が集まるので、一時的には活性化したように見えます。しかしそれは10年ほどしか続きません。例えばイギリス、アメリカでも、規制緩和型の開発はなかなか上手くいかない。そのことを我々は注意深く勉強しながら、日本の都市再生を行っていかなければなりません。 ◇都市再生の背景 再生と言うと、何か元に戻るようなイメージがありますが、別な姿に生まれかわるいくことを意味しています。私たちの都市は、どう新しい姿に変わっていくのかを考える必要があると思います。例えが悪いですが、先ほど社会主義国、こうした国々に戦前の日本は戦線を伸ばしました。日本のように小さな国がアジアに戦線をのばし、補給が続かなくなりました。現在、そうした戦時中とは性質が異なりますが、様々な活動の戦線が世界中に広がっています。これを日本という国を中心に体系づけることがとても難しい状況になっていることも、都市再生が言われる非常に大きな問題の背景にあると思います。 なぜなら、日本人が食べている食料の大半は、外国に依存しています。ほとんど全ての工業材料なども外国に依存しており、日本で供給しているのは人材ぐらいしかない状態に立ち至っています。それを再生し、組み立て直すのは至難の技とは言わないまでも、50年ほどはかかるのではないでしょうか。我々が今、一挙にできるわけもありません。明治以降、この函館がつくられた頃から、日本はどんどん変わってきました。新しい姿に変わるためには、時間がかかります。これには50年はかかると予感しています。私はあと50年も生きていませんが、毎日の一歩一歩が、都市を変えることにつながると確信し、仕事をしています。都市づくりはすぐには実現しないし、とても息の長いことですが、努力が絶えないよう、常に頑張る必要があると思っています。 ◇アメリカの草の根民主主義 さて、「行ってみたい都市の形成 〜都市ツーリズム時代を迎えて〜」のテーマで、お話をさせていただきます。最初に紹介するのは、西武の堤さんの話です。堤さんは辻井の名で物書きもしており、なかなかの文化人であります。彼がある本で、『アメリカに出かけるたびに、1日・2日の時間をもらって、地方都市や田舎に行ってみることにした。そこここに、ヨーロッパの古い街の名前を持った通りが、突然のように現れたりする小さなまちで、人々は静かに、あるいはやや頑なに自分流の生き方をしていて、昔の姿が生きているという点では、日本よりも歴史が残っていると感じたこともある。そうしたある日、私は急に、アメリカがベトナム戦争敗北のままでやめなければならなかったのは、この戦争を続けていれば、合衆国を無言で支えているこうした地域が崩れてしまうという、内なる危機感を、政府も無視できなくなったからではないかと気付いた』。 我々はアメリカというと、世界の警察官のように、あちこちで非常に派手な活動をしている国と思いがちですが、本当のアメリカは、草の根の民主主義がしっかり根付いており、とても故郷を愛する国民がベースにあります。私はこの小さな本の一節を読み、日本に果たしてこういうまちがあるだろうかと考え込んでしまいました。私は仕事柄、いろいろな地方の小さなまちへ行ったり、ふるさと弘前へ帰って来たりしますが、どこに行っても、東京の臭いがする。テレビの影響がとても強いのでしょうが、皆、東京を向いていて、自分たちの故郷がどれほど良いまちに気付いていないことが多い。住民が愛着を持ち、『頑なに自分のまちのよさを信じ続けている』、そんなまちがあるだろうかと考えると、なかなか出くわさない。どこに行っても、東京のようなまちづくりをしたがる。だいたい、お役人がみんな東京を向いている。関西のお役所も、みんな東京を向いています。その理由は、東京にはお金があるからです。 お役人が東京を向くのは今の制度上ある程度理解できますが、市民・住民も東京を向いている。これがとても気になり、私たちはそういうことを少しずつ変えていかないと、本当の日本の将来的なまちづくりにはならないと考え、この一節をご紹介したわけです。 ご存知の方も多いでしょうが、アメリカのNational Trust for Historic Preservation(歴史的保存のためのナショナルトラスト)は1949年に創立されたもので、自分たちがアメリカ人たることを明確化させる文物を残し、アメリカ人社会のコミュニティを生き返らせる活動を行っています。イギリスにもこうしたトラスト運動がありますが、それに比べると、草の根の市民文化を残すことにとても力を注いでいる団体です。 この組織の中に、1980年にNational Main Street Centerが創設されました。これは、地方都市の商店街再生支援を行っている団体で、現在1,100の地方都市を支援しています。当センターの一番の眼目は、大規模量販店の反対運動を強く謳っています。例えば、ある小さなまちには、Village for responsible planning(計画を作り出す責任をもった村人)という組織があります。このまちづくりNPOの創設者の1人である女性は、自分のまちの商店街が衰退することで、『私はここで神聖さを抱くものの損失を感じ始めた。自転車で自由に往き来したり、子供を連れてアイスクリームを食べながら歩くことができないのであります。小さなコミュニティにとって非常に重要である、何気ないコミュニケーションがなくなるのではないか』と述べています。 これも先ほどの堤さんの印象と同様、皆が昔から親しんできているまちの中心部を失ってしまうことに対する危惧があります。自動車によっても失われるし、ショッピングセンターができたために人が集まってこない。我々はそれをどうして簡単に認めるのか、という問いかけから、現在、1,100の小さなまちの中心市街地を守っていく運動を行い、それをナショナル・メインストリート・センターが支援しているわけです。 先般、映画俳優がある州の知事選に出馬しましたが、俳優さんが地域活動をしているのもアメリカの特徴かもしれません。キャサリン・ヘップバーンはまだ健在で、小さなまちで大規模店反対運動のリーダーをしているようです。 私たちも、自分たちのまちの良さを見つけ出し、愛着をもつ必要があります。問題なのは、私たちが何か問題がある、あるいは何か悪くなる傾向が進んでいるという感じを持ちながら、それにどう取り組んだらいいか手がかりがないことだと思います。アメリカの草の根運動に学ぶ必要があると思います。 ◇古い町とモダニズムの町 次に、幕末の頃から現在までの人口の推移を見てみます。日本全体の総人口が増えるに従い、都市に住む人口がどんどん伸びていますが、郡部の人口はそう極端に減っていません。相対的に見れば、全体として田舎の人口は変わらないのに対し、都市の人口だけが伸びています。この人口の推移をどう見るかが、いろいろな意味で鍵になると思います。 大雑把にみますと、1900年に4,200万人ぐらいの人口があり、この時代までにできたまちは伝統的なまちとみることができます。それからどんどん増加したのは、新しいまちであると言えます。 従って、日本人の4,200万人くらいは古いまちに住んでいるわけです。もちろん建て替わったり、空襲で壊されたりしていますが、何か古いもの、伝統的なものが残っているのが4,200万人が住むまちであります。一つの指標として、昔ながらの祭りがあるまちだということができます。新しいまちの大半が、郊外の住宅地です。通勤する人が多く住んでいますから、サラリーマン都市ということができます。 日本の大都市の場合、住宅だけでできているまちが郊外に広大にできました。とりわけ大都市圏に行くと、古いまちの周辺に郊外が広がっています。20世紀の間に、何千万人もの人が住むまちを造ってきました。それが20世紀の都市づくりでした。私はそれをサラリーマン都市、あるいはモダニズムの都市と呼んでいます。こうしたまちが造られる一方で、住まう場所と働く場所が分離し、通勤が日常的になりました。これは当り前ですが、以前はなかったわけです。例えば、江戸時代に通勤していたのはお侍だけで、彼等も毎日通勤していたわけではありません。月に半分くらいしか通勤、出社しません。しかし、1900年以降は、住む場所と働く場所が分離し、通勤が日常となり、専ら住む場所が広大にできたわけです。 今、このようにサラリーマンだけが住む、郊外の住宅地は、非常に厳しい状況にさらされています。なぜなら、日本の成長期にたくさん造られたため、住民の高齢化が進み、職場もないし、買い物もショッピングセンターしかない。そういう場所が、将来どうなっていくのかということがとても重要な問題で、都市再生のもう一つの課題と考える必要がありますが、今日は、郊外ではなく、中心部の方の都市について考えたいと思います。 1998年出版のイギリスの都市計画の本で、デービット・ラドリンさんという人が、『世紀末に近づくにつれ、モダニズムの影響は顕著に弱まり、1950年、60年、70年代の再開発計画が失敗だったことは今では明白になっている』と述べています。これは、最近のイギリスの都市計画、ヨーロッパの都市計画と言い換えてもいいのですが、ヨーロッパでも今まで様々な再開発が行われ、モダンな市街地があちこちにできました。モダニズムとは建築の用語ですが、そうした近代的な再開発地区がどれも調子が悪くなってきている。なかなか生き生きとしたまちにならない。それについて、ヨーロッパの専門家たちはとても危機感を抱き、その原因を真剣に議論し、現在に至っています。これを手がかりにしながら、考えてきたいと思います。 ◇行ってみたい都市とは なぜ、行ってみたい都市を問うのか。都市は、行ってみたいという魅力にあふれていなければならない。訪れる人がなければ、都市そのものの概念がくつがえる。なぜならば、都市の特質は人々の交流であり、これが重要なポイントです。先述したサラリーマン都市は、人はたくさん住んでいても、訪れる場所ではありません。友達を訪ねたりすることはありますが、仕事を終えて帰る場所です。しかし、よそから来た人があえて住宅地にいってみたいとは思わない。例えば、多摩ニュータウンなどに観光に行く人はいないと思います。大阪などでも、住宅のみの広大なニュータウンを造ってきましたが、観光客は誰も行きません。そこに、サラリーマン都市が本当の都市か、という根本的問題があります。どうも、都市の性格を持っていない可能性があります。このことについては、本日はこれ以上触れません。 少し抽象的ですが、訪れる人がいないと、都市でなくなってしまう。だから、行ってみたい都市を造らねばならない。では、それが可能かどうか。これは、卵が先か鶏が先かという問題になりますが、行ってみたいという特質は、どこから生まれるのか考えてみます。 ◇新アテネ憲章に見るヨーロッパの都市づくりの考え方 先ほど触れましたが、ヨーロッパの都市づくりの考え方が、転機を迎えています。1998年に、ECの11カ国の都市計画家が集まり、21世紀の都市が目指すべき目標を議論し、アジェンダとして新アテネ憲章を発表しました。私はたまたま、この参加者に日本で出会い、新アテネ憲章を日本語に翻訳することを認めていただきましたが、なかなか興味深いアジェンダでありました。新アテネ憲章という名称の由来ですが、1936年頃、今から60年前にアテネ憲章が提唱されました。これは、20世紀の都市がいかにあるべきかを述べたもので、今回、21世紀の都市を目指してつくられた憲章を、新アテネ憲章としたわけです。 その中に、21世紀の都市が目指すべき10のセットの提言があり、なかなか考えさせられる点が示されています。全ての人々のために都市は考えねばならない、そのためには、真の住民参加が必要である。あるいは、人間同士の触れ合いがとても重視されており、都市が発展すればするほど、人々はなぜ疎遠になり、大都市へ行って孤独になっているのか。この点に、とても大きな問題意識を抱いています。最近の日本もそうですが、ヨーロッパの大きなまちは、人々がみんな砂のようになっており、これをどうやって解決するかが大きな問題として認識されていました。また、都市の個性を持続させなければならないとか、10の項目について、それぞれ提言が組み立てられています。 この背景にあるのは、現在のヨーロッパでは国境がなくなりつつあり、経済が遅れている地域から進んでいる地域に人が移動します。また遅れている地域の経済レベルも上がります。それにより大きな変化が、急速に起こります。予想によると、2010年くらいには、ヨーロッパの車の台数が現在の2倍になるのは確実であるとみられています。理由は、旧東欧の人々の生活水準が上がり、彼等が車を買い出す。また、車の価格も買えるように安くなっている。目の前でそうした変化が起きつつあるため、環境問題などに対する危機感が一方にあるわけです。 この新アテネ憲章の趣旨を、簡単に述べます。基本的に、都市のクオリティは、それ自体が資源であると同時に、経済的繁栄に貢献する。21世紀においては、とりわけヨーロッパおいては、都市観光が重要な役割を果たすと展望できる。そのようなニーズに応えるためにも、都市の魅力を増進させなければならない。次はヨーロッパの都市のポイントですが、都市の魅力は、歴史的な資産と、それに調和するような新たな個性によって形成される。グローバルな経済のみでは、都市社会の安定は得られない。要するに、ローカルなビジネスが必要だということです。 グローバルな経済の問題が指摘されています。ショッピングセンターの例と同様、グローバルな産業も、調子が悪くなると皆逃げていきます。例えば最近、ナイキでしたか、インドネシアから工場を撤退し、1万人が失職したと聞きます。グローバル経済は、地元の会社ではないので、こうしたことを平気で行います。経営の活性化、効率の悪さを改善するために、企業はドラスティックな対策をとります。そこまでお金を儲けねばならないのかと、我々凡人には理解できませんが、1万人が簡単に失職するようなシステムでお金が動いている。それ自体がとても大きな問題で、そうした経済の仕組みに過大な期待を抱くと、私たち自身の都市の魅力を存続できなくなる、という認識が、ヨーロッパの都市計画家の人たちの間に、とても強くあります。 都市計画は、都市の経済基盤を強化するために、地域に根ざした小さなビジネス群の開発を促進しなければならない。小さなビジネス群は、昔からの古いまちで、より多様に生成される傾向にあり、歴史的な都市が持っている特質に学ばなければならない。活気がある昔からの都市が持っている特質は、多様性・混在性である。都市は、新来者を含んで全ての人を受け入れるべきであって、都市づくりには市民の参加が不可欠である。これらが新アテネ憲章の骨子であります。 さらに先ほど述べた、孤独や無関心、受動性が高まっており、市民が都市に関心を持ち、交流できる環境を整備しなければならない。そのために、街区、近隣といった身近な環境が重視されねばならない。放棄された土地は魅力ある環境として再生され、人々の交流の場とならなければならない。最後に、教育がとても大事で、今の子供たちに対する教育は、自分が暮らしている地域に対する愛着・関心を育てるようにしていない。教育こそが、市民参加を実践する将来の市民を育成していくうえで、とても重要だという認識があります。どうして私たちの都市社会が発展すればするほど、孤独や無関心が広がるのか、充分考え抜かねばならない。 冒頭に、皆が東京だけを見ていると述べましたが、その問題はここに潜んでいると思います。私たちは、感動したり、考えたりする能力を失っている可能性があります。そうした能力を育むのが私たちの地域の環境であるはずです。その地域に、私たち自身が愛着と自信をもたないと、子供たちに教えられません。その問題を、ヨーロッパの都市計画家たちは、とても真剣に考えこのシナリオを考えました。我々から見て、あんなに素晴らしいヨーロッパの都市の人たちが、これほどの危機感を持っていることには考えさせられます。 新アテネ憲章の内容と、日本で都市再生と言っている内容とは、ニュアンスが相当違います。日本の都市再生は、お金儲けだけの話のように聞こえます。日本の都市再正も、もっと違うビジョンに立って考えないといけないと思います。私も都市計画家の一人として、なぜ日本でこうした問いかけができないのか反省し、非常に小さなグループですが、大阪で具体的な試みを進めています。私は、国の方針としてこの観点がなかなか出てこないのは、相当重大な問題であると思うのですが、いかがでしょうか。 ◇重要なのは都市のクオリティ 日本の都市の特徴はどこにあるでしょうか。先ほど、都市のクオリティは、それ自体が資源であり、経済的繁栄に貢献すると述べました。ヨーロッパの都市のクオリティとは、行かれた方には想像がつくと思います。では、日本の都市のクオリティとは何かを考えねばなりません。これはなかなか難問です。これまで、私どもの都市計画の教育では、日本の都市のクオリティは質が低い、ということしか教えてくれませんでした。質が低いので高めるのだ、という姿勢の教育が根強く、日本の都市の良さに関心が持たれにくい傾向にありました。しかし、外国から日本を訪れた人たちは、日本の都市のクオリティをたくさん発見しています。私たちが、それに気づいていない点が問題だと思います。 例えば、私は北海道の都市には、いいクオリティがたくさんあると思います。水準が低いわけではありません。それを自ら発見し、確認することが、子供たちにも非常に大きな影響を与えることになると思います。自分たちの都市は貧しく、質が悪いとしか教えないのでは、大変なことになります。そのために、私たちは日本の都市のクオリティを再発見し、発信していかねばなりません。 ◇グローバリゼーションの影響 先述したグローバリゼーションと、都市ツーリズムの結果として、途上国を中心として画一化が進んでいます。ヨーロッパでは、今までのモダニズムによる再開発は失敗であると認識し、グローバリゼーションによる都市開発は、マイナスであると気づいています。しかし、アジアでは、非常に大きな影響を与えています。 グローバリゼーションは、今でこそ急速に展開しているように思われますが、ノーベル賞受賞者のアルマティア・センというインドの経済学者は、人類の歴史そのものがグローバリゼーションの結果であり、古くからあった現象だと言っています。最近のグローバリゼーションはITによって、そのスピードが増したわけです。同時にお金もIT技術で動くようになりました。アジアのまちはグローバル経済の仲間入りをするために、超高層建築のラッシュになっているわけです。 例えば、中国南部の中都市では、香港や台湾在住の中国人の資本で高層マンション群を造っていますが、ほとんど空いているそうです。しかし、投資だけはどんどん展開されるという奇妙な状況が進んでいます。こういう開発は、アジアの都市の良さを損なっている面があります。このようなまちはあまり行ってみたいと思いません。一ヵ所見ればそれで十分です。ビジネスマンなどは、行って仕事をしたいと思うかもしれませんが、ツーリズムの対象には絶対なりません。 グローバリゼーションによって、超高層のオフィス街が将来的に活性化するだろうかという問題意識が、私の中にあります。実際に、活力を持続する都市とはどういうものか新アテネ憲章から引いてみますと、「都市生活のエネルギーは、世代・民族あるいは貧富によって決定される社会的集団の多様性に依存するという認識が高まりつつある。一般に、古い都市に見られる多文化のまちは、社会的・経済的活力を供給できる」。翻訳が分かりにくいので言い直すと、世界中を見て、活力があり、生き生きとし、新しいアクティビティを生み出しているのは、古い構造を持った古くからのまちです。1960年代以降に新しくつくられたまちで、活力のあるものは皆無である。なぜなら、新しいまちは均質的だからです。同じものしかない。それに対し、犯罪など大きな問題を抱えたまちも確かにありますが、活力があるのは古くからのまちであるという認識です。サラリーマン都市や、モダンな都市ではなく、複合機能を持った歴史的な都市が活力を持ち続けている。私たちは、このことをもう一度考えねばなりません。 同様の文脈ですが、イギリスや世界の多くの地域では、まちの伝統性が再び注目されています。「何より信頼の基調となるものは、時間の流れにより濾過され、より魅力的で、より機能的な、伝統的な市街地の形態である」。都市計画の専門でなければ分かりにくいかもしれませんが、簡単に言えば、歩いて楽しいまちが良いまちだというニュアンスです。車で走り回って楽しいまちはない、車でないと行けないまちに、賑わいや活力があるだろうか、という問題提起とお考えください。 ◇賢い成長という考え方 もう一度この文脈で、先ほど紹介したナショナルトラスト代表者の演説から紹介します。ブッシュ大統領の少し前から、アメリカで関心が持たれている考えで、「賢い成長」、我々はもっと賢く都市整備などを行わねばならないという、まちづくりの考え方です。 ・できるだけ既存の建物と土地をリサイクルする。 ・ローカルなコミュニティの特徴と個性を維持する。 ・農場や森林、良い眺めなど、環境的な面で敏感な領域を保存しよう。 ・コミュニティのセンスを高めよう。 ・歴史的なダウンタウンと住宅街を生き返らせよう。 ・既存の都市の中にある空き地や、十分使われていない土地を開発し、それを周囲の環境とブレンドしよう。 ・車の代わりに歩行、自転車、公共交通機関のオプションを与えよう。 ・効率の良いところに、うまく設計された新しいコミュニティをつくろう。 ・将来の世代が経済繁栄を支えることができるよう、環境を保護しよう。 我々が今、使い切ってしまうのではなく、将来のために残さねばならない。これはバブルの頃のように、超高層で派手にという開発とは全く違います。賢い開発は、もう少しおとなしく、優しく行わねばならないという認識が、アメリカのまちづくりの源流に強くあります。我々が、テレビ等で見ていると、アメリカの都市開発は派手に見えますが、そうではありません。先に紹介したメイン・ストリート・センターなどは、1,100ものまちを支援しています。ヨーロッパでは、本当に人間にとって暮らしやすいまちをどうつくるかということに、とても真剣に取り組んでいます。残念ながら、私たちには海外の派手な部分しか見えず、その部分だけを学ぼうとしますが、本当はアメリカもヨーロッパも、優しい開発が大事であると思っているわけです。 ◇ニューヨークのSoHo現象 こういう考え方を持つ人々によって支持されている、都市活性化の一つの方法として、ローカルなビジネスを育てるまちという意味で、SoHo現象があります。South of Houston Industrial Areaというニューヨークの工業地帯の名前から、略字をとったものです。衰退した倉庫街で、1970年代、現代芸術の拠点、さらにIT産業の中心になり、周辺の人口も回復しつつあります。日本ではこのSoHoを、Small Office Home Officeとして使うことが多いのですが、SoHo現象の出発点はニューヨークです。ロンドンにも昔からの盛り場でSohoという地区がありますが、これは別です。 SoHoは、ニューヨークの中心部にある、荒れ果てた倉庫街です。さびれた理由は、高速道路建設のプロジェクトが立ち上がり、土地や建物の所有者は撤退し、投資が起こらなかった。市民運動によって道路建設が中止され、誰も利用しない空っぽの倉庫街になりました。そこが創作活動をする人たちの、絶好の活動場所になったというタイミングのいい巡り合わせが、この地域の新しい価値を生み出すプロセスになったわけです。それをSoHo現象と呼びますが、 ・現状のストックを見直し活用する。 ・新しい仕事と空間利用を育んでいく。 ・大規模開発によってもともとあった機能を入れ替えることはしない。 ・真の都市活動を萎縮させてしまう規制は排除する。 ・歩ける空間の重視を含み、周囲の環境から孤立するのではなく、周囲と連携する。そのことによって真に人が行ってみたいという都市空間が生まれる。簡単に言えばこういうことですが、一つひとつが大問題です。 繰り返しになりますが、再開発によって機能を入れ替えてしまうと、そこだけ孤立してしまいます。開発すると、よそから新しい、そこに入ることのできる機能がやって来て、元あった場所は空っぽになります。そういうことを繰り返すのでは、本当の都市再生にはならないのではないか。SoHo現象にみられるようなこのような連鎖反応は、都市再生にとても重要なヒントを与えていると思います。 SoHoというニューヨークの中心から、同じような現象が周囲に広がっていきました。同様のアクティビティが、衰退した地区をどうやって蘇らせるかという試みが、20年ほどの間にアメリカ中の都市に広がりました。例えばデンバーでは、SoHoを文字ってLoDo、シアトルではSoDo、サンフランシスコではSoMa、それぞれ昔のダウンタウンで、倉庫街や工場があった地区で、起きている現象は異なりますが、連鎖反応の仕組みはとてもよく似ています。SoHo現象は日本でも注目され、大阪でも似た動きがあります。昔は材木を運河で運んだので、運河のある中心部に材木問屋のまちがあり、そこがほとんど機能しなくなり、ここ10年ほどで倉庫が別の意味で賑わいのメッカに変わってきています。アメリカのSoHo現象は、新しい仕事が中心にあり、消費だけではない点が少し異なります。 大型都市開発が効果を発揮しない。これはアメリカでもそうです。様々なアクティビティを育てる方向に作用せず、むしろそれらを排除し、そこにあった育てるべき様々な関係性を分断する方向に作用するからです。大きな開発を行うと、そこに見合った企業を誘致します。その企業は力があるので、調子が悪くなるとすぐ撤退します。それでは本当の意味でまちが育たないのではないか。どちらをとるか悩ましい問題です。 SoHo的手法にも限界があります。可能性を持った方向ではありますが、都市再生の妙薬ではありません。なぜならば、SoHo的手法は、そこで起きる様々な活動のseedsを育てることであって、seedsがないと効果がありません。seedsはまちそれぞれ全部違うし、人でもあれば空間でもあります。その空間と人の連関性をどうやって育てていくか、まちづくりの原点と言えるこの観点が私たちの都市再生の一番根本にあるべきです。単にビルを建てれば都市が再生するというのは、ほとんど偽りです。seedsがあり、関連性がそこで育たなければ、本当の都市再生にはならないのではないか。そのためには、相当の時間がかかります。 資源であり、経済的繁栄に貢献できる日本の都市の質、クオリティとは何だろうか。行ってみたい都市は、まち全体が一度は訪問したいという雰囲気を持っている。その雰囲気は、何によってできているか。都市は、ローカルな土地に根ざしたビジネスを生み出していくポテンシャルと、人々が都市に関心を持ち、社交的な環境を生み出していくポテンシャルとを持っている。恐らく、ローカルなビジネスと、社交性のあるまちが、一度は行ってみたい雰囲気を醸し出しているのではないでしょうか。スモールビジネスや、製造業、市場などが生き生きしている。それらが魅力の中心になるのではないかと考えますが、この課題は、本日の討論の中で具体的に考えてみたいと思います。 行ってみたい都市の特質、問題提起として繰り返しになりますが、そうした都市のポテンシャル、あるいは作用は、古い形態の都市にあり、とりわけ、歩くことを重視することが大事ではないか。私には、車で走って楽しいまちという概念が捉え難く、都市が楽しいということは、歩いてこそ楽しいのであって、そういうまちが原点であろうと思います。また、大型開発ではないだろう。そして少し専門的になりますが、都市空間を構造的に豊かにする。歩いて楽しいということは、構造的に豊かなことです。単に道路が広いだけでは、歩いて楽しくはありません。 ◇都市大阪創生研究会の活動紹介:ミニ社会実験 ここからは、私どもが行っている事例を紹介し、何かの参考にして頂ければと思います。最初に紹介するのは、都市大阪創生研究会です。私が呼びかけ、大阪の10の企業が1社50万円という資金をもって研究会をつくり、企業の若手メンバーがワーキンググループを編成し、大阪のまちづくり提案を行うという趣旨です。悪口になるかもしれませんが、例えば大阪市も、長期計画などを持っています。しかし、計画の検討途中をなかなか発表しません。議会に認められたらとか、実施を決めてから発表します。でも、その途中にたくさんの様々な可能性があり、その検討過程を公表してくれない。ですから、例えば市役所に行って我がまちの将来計画、総合計画を示されたとき、我々市民はどうすればその計画に意見を申し述べることができるか。その手だてが、大阪ではとりわけ少なかった。 そこで、都市の将来像を描くのは、お役所だけではないのではないか。市民にとっても、企業にとっても、一つの都市がおかしな方向で計画されると困ります。ですから、志のある企業の方々に呼びかけ、我々でこうあってほしいという案を作成し、市に提案したり、市民に公開し、考えたり活動する場をつくろうと1999年に呼びかけました。それから活動が続いていますが、例えば一企業が50万、10社で500万円です。このお金があれば、コンサルタントでも相当の研究ができます。それを自前のグループで行うので、集まったお金のほとんどを作業費に使えます。 今まで様々な提案を行ってきました。最初の計画は、大川と御堂筋の2エリアで提案し、次には中の島と堺筋の提案を行いました。提案すること自体意味があるし、提案の作成にあたった企業の若手メンバーは、みんな元気になりました。以前は会社のことばかりしていましたが、これに参加して、10社の同年代の人たちと作業すると、考え方がとても変わります。ここで育った若手がたくさんいるし、単なる提案のみからならず、やれることからやっていこうと行動し始めます。今、国では社会実験を様々な場面で行っていますが、この研究会はついこの間、自分たちでミニ社会実験の一つをやりました。 そうした活動を行う中で、いろいろな提案がありますが、一つの可能性として着目したことがあります。例えば、京都の鴨川は、夏の季節になると川沿いに納涼床が出て、なかなか風情があります。しかしその陰に、地域の人々の苦労があります。というのは、河川の上を商業的に利用することは、河川法ではもってのほかです。この始まりは室町時代と言われ、古い伝統があります。今のような形態になったのは、明治になってからで、昭和の戦争期には、ぜいたくであると廃止しました。戦後になって復活しましたが、その時は真っ赤に塗った欄干のような床だったり、舟形の床など、誠に無様なものでした。そこで組合の人たちが集まり、互いに自粛し、風情のあるものに統一しました。これは河川を占有しているので永久的ではなく、毎年京都府に申請し、許可を得て、夏の季節だけ設置します。冬になれば片付けねばなりません。 それぞれがとても厳しい協定を結んでおり、例えば椅子に座った飲食をさせないとか、芸子さんを呼んで三味線で唄など唄ってはいけない。すだれ一枚の仕切りなので、大声を出したり、歌ったりすると迷惑になります。椅子に座ると景色に影響が大きいので、互いに自粛しています。組合の人たちの労力と努力による一つのけじめであり、お客の礼節によってこの景色が生まれているわけです。私は、こうした有り様を生み出すことが、まちの一番の魅力ではないかと関心を持っております。先ほどの、都市大阪創生研の若いグループ員も、建築物だけでなく、オープンな交流の場も、ちょっとの努力で楽しくなるのではないかと考えています。まちづくりには、そういう提案がたくさん出ますが、実ったためしがない。アイディアはたくさんあるが、実現できるのは日本中の都市でも一つか二つでしょう。とても不思議なことです。アイディア書は幾つもありますが、それを実現した例は少ないのが実態です。 大阪は水の都です。戦前は水上で楽しむ方法がたくさんありました。戦後になって、新しい河川法になるに従って禁止され、いっさい消えてしまいました。これをやればまちが楽しくなると分かっているのに、なぜできないのか。それはお上の論理でできないわけで、とても問題です。放っておくと野放図になるという危険性もありますが、けじめと礼節で環境を活用すれば、楽しくできる場所がたくさんあります。例えばそこにテキ屋が来たり、不衛生になったり、ちょっとしたことでダメにしています。この4・5年、まちづくりを提案し、公表してきた若い人たちがそれはおかしいと考え、リバーカフェの実験を実際にやりました。小さな規模ですが、実現するまでには大変な努力がいりました。京都の納涼床は伝統として許されますが、新たにつくり出すことは難しいのです。 しかし、何かの状況が組み合わさるとできます。あまり大層なものではありませんが、その試みに若者たちが取り組んだ結果です。台船は船会社から有料で借り受け、ベンチなどは御堂筋で社会実験として行っているオープンカフェから借りたりして、2週間だけ実現させました。広島でもオクトカフェ運動として、市役所やコンサルタントの人が始め、定着しつつありますが、まちの中にもっと楽しさを作り出す必要があります。昔はあったのだから、今もできないはずがない。禁止されるからできないだけで、実現のために工夫しなければならない。できないと諦めていると、いつまでたっても不可能です。先ほど述べたSoHo現象の問題はそこにあると思います。壁にぶつかったら止めてしまうのではなく、様々な障壁を乗り越えれば、実現できるかもしれません。お役所は、頑なに障壁にならないでほしい。可能性があれば認める度量がないと、SoHo現象は進まないと思います。そこが本当の規制緩和です。大きな建物を建てられるという規制緩和ではなく、こうした種々の障壁を緩和することが原点であると思います。 カヌーでやって来た人たちが立ち寄ったり、なかなかいい景色です。国道とJRの橋があって、電車が通ります。こういう風情でお茶を飲める喫茶店はないですね。こういう場所には、本当にまちを感じます。こんな場所が、もっとたくさんできていけば、より楽しくなり、まちが生き生きする原点が生まれると確信しています。 ◇手押し車まちづくり もう一つご紹介します。先ほどのニューヨークのSoHoの近くに、ユニオンスクエアがあります。昔はとても荒れ果て、麻薬の売人などがたくさんいる広場でした。それが、グリーンマーケットになって蘇りました。ある都市計画のコンサルタントが、自分の出身がニューヨーク郊外の農村だったので、農民の苦境を救うため、「手押し車まちづくり」を始めました。まだ市の許可もないので、とにかくやってしまおうと、手押し車で運び始めたものが成長し、周辺には優良な飲食店も建ち始めました。活性化の一つの手がかりとなったグリーンマーケットですが、最先端のITなどによるまちづくりではなく、原始的な方法もなかなか面白いと思います。 クリーブランドのウエストサイドマーケットは、ホームページを持っており、なかなか味のある内容です。ホームページのある朝市など、いいですね。市場を毛嫌いする人もたくさんいますが、何が入手できますか、いつ行けばいいですか、現金ですか、クレジットカードが使えますか、トイレはどこか、駐車場はあるのか、いろいろ書いてあります。「とにかく来てください。清潔で、売り物が新鮮で、親切な対応の店を選んで、とにかく買ってください。そうすると市場が好きになるから」、となかなか面白いホームページです。こうした些細なことから、様々なアクティビティが広がる可能性があると思います。 ◇絵葉書づくりもまちづくり これは宣伝になりますが、大阪絵葉書研究会というのがあります。先の創生研究会で大阪には絵葉書がないことに気づきました。大阪は人に来てほしいという努力を何もしていない。 絵葉書を探しても、大阪駅で売っていない。新大阪には、どうしようもない絵葉書が10種類ほどで、これは大変だ。そこで自ら大阪を楽しみながら、いい葉書を作る会を発足させました。我々が作った絵葉書を、企業に使ってもらえば宣伝になります。そのためには、もらって嬉しい葉書を作ろう。大阪城だけの葉書をもらっても、何も嬉しくないですね。 このグループは、なかなかやんちゃなところがあります。大阪には桜ノ宮という桜の名所があります。江戸時代から戦前は、舟でお花見をする人がたくさんいましたが、今時の人はなぜかやらない。では自分たちでと、筏を作りやってしまいました。このときのルールは、着物を着て来ること。着ていない人は、お手伝いか丁稚として扱う。絵葉書研のメンバーは約30人おり、50組くらいの絵葉書が作られていますが、なかなか良いものが多い。そのうち、NPOで売り出そうと思っています。もちろん、できるだけ大きな会社に、1,000枚単位で買っていただき、使用してもらおうと考えています。 絵葉書の一部を紹介します。これはお化け煙突といって、昔は8本の煙突があり、角度を変えると1本に見えるというものです。これを見た人が、自分の親父さんの誕生祝いにあげたい。関西電力の官舎に昔住んでおり、この景色はとても懐かしいと、わざわざ手紙を添えて注文してくれました。 これは大阪の枯木村という、昔の村です。大阪は大都市で、歴史をあまり感じられないかもしれませんが、ちょっと都心から外れると、大阪の人も知らないこういう景色がたくさんあります。 ◇テーマパーク的なまちづくりの可能性 最後になりますが、誤解を恐れずに申し上げれば、テーマパーク的なまちづくりは一つの可能性だと思います。テーマパークのようにまちをつくれと言うのではなく、テーマを考えることはとても重要です。テーマに対するデザインの深化と創造性に、日本固有の都市環境づくりへの可能性があるのでないか。要するに、テーマパークはテーマを持っていますが、我々のまちにはたくさんのテーマが、そこら中にあります。そのテーマを発見していけば、いろいろな脈絡が出てきます。このテーマは人に伝えられますね。例えば建築担当や土木の人に、このまちのテーマはこれですと説明すれば、考える方向が一致します。それもしないで、土木も建築も勝手に考えているより、何らかの手がかりを皆で持つことが重要だと思います。 これは、大阪市内の小さな神社のお祭りです。祭り自体は新しいものですが、祭り衣装は全部、地元青年団のデザインで作ったものです。結構、子供たちのしつけが良い。みんな知り合いなので、茶髪の若者などいても、あまり悪さをしない。古いまちには古いしきたりがありますが、この祭りができてまだ20年くらいです。本当に民主的で、若者グループとご老体グループで必ず反省会をします。子供たちを大切にしようという合言葉があり、ちょっと怖そうなお兄さんもたくさんいますが、みんないい人です。大阪は怖いところではありませんので、皆さんも是非来てください。 次は私の田舎、青森のねぶたです。いろいろ工夫し、いい祭りを育てていくことも、テーマを持ったまちづくりの一つの方法だと思います。都市の再生・蘇生はとても難しい問題ですが、楽しいと分かっていることが出来ないのが問題です。そういう障壁をできるだけ取り払いながら、やれるところから手をつけ、育てていくことで、行ってみたいまちはできていくと思います。大きなものをドカンと作っても、人はあまり行ってみたいとは思わないというのが、私の考えであります。以上をもって、私からの問題提起とさせていただきます。どうも有り難うございます。 |
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