ヨーロッパ(フィンランド・スウェーデン・デンマーク・スイス)を訪れて
登別市総務部次長 道林  博

はじめに
 このたび、北海道市長会第27回海外都市行政視察調査団の一員として、海外研修の機会を与えていただき“ヨーロッパのまちづくり”について、その一端について理解を深めることができましたことに対し、改めて理事者及び職場の同僚に心からお礼申し上げたいと思います。
 行政視察する北欧三国(フィンランド・スウェーデン・デンマーク)の環境・福祉政策は世界の道標として、また、環境保全の思想に貫かれた“まち並み”は、世界のあこがれの的として注目されており、それに対する期待が日々深まっていく中、10月17日(金)新千歳空港での秋田団長の力強い挨拶に始まる結団式を終え、私たち7名の旅がスタートした。
 10月18日(土)11時54分ほぼ定刻時に成田を離陸。シベリア上空では、大川やバイカル湖らしい湖が眼下に現れ、ウラル山脈を越えコペンハーゲンに11時間半後に到着した。
 空港に出迎えてくださったガイドさんの案内のもと、一同ホテルへ向かう車中でのガイドさんの説明に“セブンイレブン”が進出していることを聞いて、この美しいまち並みの景観にその建物がマッチするのだろうかと、訝しく思った。
 ホテルに到着後、早速その近くを散策した際に、セブンイレブンを目の前にしたとき案の定と思った。
 その日は、早朝の飛行機でフィンランドに出発するので5時に起床するため、早々に床に入った。

《フィンランド・ヘルシンキ》
 コペンハーゲンの空港から約1時間半後、フィンランドの首都ヘルシンキの空港に到着し、市内の公共施設等を視察した。
 フィンランドは、10世紀頃からスウェーデンとロシアの政治的、宗教的争いに巻き込まれ12世紀以降、600年間はスウェーデンに、1809年には、ロシアの支配下にあり、1917年のレーニンのロシア革命により、ようやく独立したが、長く外国の支配下にあったため、王室がない。
 今回の訪問地北欧三国は、どこも「森と湖の国」に相応しい装いを凝らしており、私が初めて目にしたヘルシンキのまちはヨーロッパの“まち”の景観と違って、いわゆる“ヨーロッパらしくない”景観であった。これについて、ガイドさんは、「ヘルシンキの“まち”は北欧のどの首都とも雰囲気が違う、これは建物の感じや“まち”全体の雰囲気にロシアの面影があるからで、国立博物館を訪れるとロシア支配下時代の財産が一杯、“まち”に出れば、ロシア皇帝の銅像やロシア支配下時代の建物がある。一方、まちの中心部から少し離れるとヨットハーバーや海水浴場があり、とても明るくて、素敵な雰囲気を醸し出しており、このところが他の北欧の国とは違っている。」と説明された。
 ヘルシンキは、「バルト海の乙女」と言われ、人口50万人のまちである。
 最初に訪れた施設は、1952年にオリンピックが開催されたオリンピック競技場。このオリンピックは、第2次世界大戦後、初めて日本が参加したオリンピックである。あの水泳の古橋広之進さんが活躍したオリンピック競技場の水泳プールは、今も残っており、市民に開放されている。
「シベリウス公園」は、緑豊かな公園で、公園内には世界的作曲家ジャン・シベリウスを記念して、女流の彫刻家が女性とは思えない大胆な作品のステンレスパイプのモニュメントとその側に彼の巨大なデスマスクが同じ銀色に輝いていた。
 シベリウスは、ロシアの支配下にあった危機の時代に音楽で愛国心を盛り上げ、その代表作として「フィンランディア」が知られている。
 岩のドーム、テンペリアウキオ教会は、今までの教会のイメージを覆すような外観を呈し、内部も実にシンプルで音響効果もバツグンとのこと。この教会は岩盤を切り抜いて造られており、岩肌の壁を見ると46億年前に誕生した地球そのものの姿を現しているようである。
 御影石が敷き詰められ、中央にロシア皇帝アレクサンドル2世の像が立っているのが元老院広場。この広場の周囲には、1820〜40年に建てられたヘルシンキ大学、大学図書館、聖三位一体教会などがある。
 広場から数十段の階段を上ると、フィンランドにおけるルター派の大本山の大聖堂があった。
 最後に、セウラサーリ野外博物館を訪れた。島全体が国立公園になっていて、北部の博物館地区には、フィンランド各地から運び込まれた18〜19世紀と古い家屋や教会が展示されていた。
 ヘルシンキは、非常に寒く、暖ったかい飲み物が欲しかった。

《スウェーデン・ストックホルム》
 ヘルシンキからスウェーデン・ストックホルムには、約4万トンの豪華客船による15時間の船旅であった。
 スウェーデンは、スカンジナビア半島の東側を占める立憲君主国で、人口約880万人を抱える北欧最大の国である。
 ストックホルムのまちは、北欧最大の国の首都にふさわしく、“北欧のベニス”とも呼ばれ、高台から一望できる眺めは、余りにも美しく生涯忘れることのできないほどの感動を覚えた。
 また、ストックホルムは、メーラレン湖がバルト海の入り江に流れ込むところにあり、14の島を40数個の橋でつなぐ森と湖のまちである。
 ストックホルム市の庁舎は、メーラレン湖に面している赤レンガの建物で、その建築様式は一見トルコ風であり、スウェーデン王室の三つの王冠(スウェーデン・デンマーク・ノルウェーの立憲君主国を表わしている)を乗せた106mの塔は、ストックホルム市のシンボルとなっている。
 市庁舎の「青の間」では、ノーベル賞受賞者の晩餐会の会場、また、2階にある「黄金の間」は舞踏会の会場になっている。
 ストックホルム市の議員は、各種委員会の委員長は月額報酬で、それ以外の一般議員報酬は、出席日数に応じて決められている。ちなみに女性議員は全議員の4割を占めている。
 ドロットニングホルム宮殿は、ベルサイユ宮殿を参考に造られ、北のベルサイユ宮殿とも言われている。その部屋数は600室以上もあり、ヨーロッパ最大の王宮である。その広場では、英国式の衛兵の交替式も行われており、タイミングよく見学することができた。
 また、この広場はストックホルム発祥の地としても知られ、中央にある大きな古井戸は「血の風呂」の別名を持っていて、血生臭い歴史の証で、16世紀、王は自分の支配に反対して独立を図った貴族達80人を宴会に招き、そこで全員の首を切り、ここに投げ込んだと言われている。
 ストックホルムは、これまで旅行した都市の中で最も美しい魅力のあるまちであった。
 最後に、ストックホルム市の悩みとしては、環境先進国として「豪華客船」の寄港が増え、これによりお客さんがたくさん来てくれることは嬉しいけれど、空気が汚れるのはイヤだとのこと。
 その理由として、燃料には、3.5%の硫黄を含んでいるものもあり、これが汚染の原因になっているということである。

《デンマーク・コペンハーゲン》
 ストックホルムからコペンハーゲンには、2000年7月に完成したオアスン橋(全長16km)を通って列車で向かった。デンマークの首都コペンハーゲンとスウェーデン第3の都市マルメの都市を陸路、鉄路で結ばれていた。
 オアスン橋建設の両国のねらいは、経済効果を目指したものであり、総工事は約220億デンマーククローネ(1クローネは約20円)を投じ、全長16kmを完成させた。デンマークには、高い山がないことから国内で一番高い建造物となっている。
 この橋をみて北海道においても、北海道新幹線の実現だけではなく、北海道と結ぶ「津軽海峡大橋」が実現すると、新たな産業基盤の形成ができるのではないかと、ふと頭をよぎった。
 デンマークは、人口530万人で首都コペンハーゲンには、約63万人が住んでいるとのこと。見学した施設としては、市庁舎と同広場、デンマーク王室の居場である宮殿、国会議事堂、人魚姫の像(何者かに爆破され現在、修復中であるとのこと)アンデルセンの住んでいた家等である。
 デンマークの政治、経済、教育についての話は非常に興味深く、女性は社会的に活躍していて国会議員の半数を女性が占めている。服装は自由な軽装で議会に出席することもある。離婚率は50%、義務教育は10年。けれど更に勉強したい人は、卒業しないで1年間勉強するとのこと。日本の留年と違い、本人の意思を尊重するようである。
 福祉国家なので税は高く、デンマークの税金は約50%とか。ちなみに自動車には、価格の2倍の税金がかかるらしい。税金が高くてもゆりかごから墓場まで国が面倒を見てくれることから、デンマークの人は納得しているのだと思う。ちなみに、10年間の義務教育費は無料である。
 コペンハーゲンで私が一番興味深かったのは、何よりもまちの中に電柱はなく、やたらに電灯の照明も無く、店のウィンドウの照明が電灯の役割を担っていたこと。
 また、信号機が少ないこと。横断歩道にも、信号機が無く人が渡ると自動車が渡るまで待っていること。
 市では、車を市街地から締め出すために、自転車道を歩行道と並行して設置している。しかし、自転車を乗る人のマナーが悪く、年間4人くらいが亡くなっているとのこと。
 何よりも電柱の地中化で、より一層街並みに美しさを引き出していることには、今後の日本の「まちづくり」に大いに参考にしたいと思った。

《スイス・グリンデルワルド・ルガノ》
 最後の訪問国スイスには、コペンハーゲンから飛行機でドイツ上空を通過してチューリッヒに到着した。チューリッヒからグリンデルワルドには、バスで移動し、途中世界遺産のまち、首都ベルンに立ち寄った。
 アルプスの湖畔にひらけたスイスのまちには、どこも共通のムードと風景を持っている。このベルンには湖がないことと旧市街が中世の趣をそっくり残していることで、しっとりした落ち着きが感じられた。
 グリンデルワルドは、ベルナー・オーバラント地方の山村で、日本では最も知名度が高く、不思議に観光客が集まるとのこと。道理でスイス政府公認の「日本語観光案内所」が設置されていた。
 翌日の10月26日(日)、私にとって2回目のユングフラウヨッホを目指して登山電車に乗り、心行くまで景色を楽しむことができた。
 午後2時頃、グリンデルワルドを後にして、バスでルガノに向かい、午後6時頃到着。アルプスの南に位置する小さな都市ルガノは、冬も比較的温暖で、ルガノ湖の対岸は、イタリアのミラノ市であるため、交流が盛んとのこと。
 ルガノ市は、歴史的建造物も多く、これまで数多くの作家、文化人を惹きつけてきた。
 湖畔沿いの美しい並木道や観光地にふさわしいゴミ箱やゴミ収集の仕方については、カルチャーショックを覚えた程である。
 スイスは、“水辺の美学”の国であるといっても言い過ぎでない都市、景観美を備えており、まちづくりとは何か、その一端を教えられた。

おわりに
 今回の訪問のテーマは、私にとって非常に興味のあるテーマであったので本当に勉強になった。北欧三国の環境と福祉に重点を置いた政策については、ヒューマニティに満ち溢れた哲学のもとに実施されており、環境問題の深刻さは日本にもデンマークにも共通なのに、受け止め方に大きな違いがあるように思われた。
 このことは、ハード面のまちづくりにおいても現れており、人間優先の基盤整備が随所に見られ、学ぶべきものが沢山あるように思われた。
 最後に、秋田団長はじめ各市から参加された皆さん、市長会事務局の今井次長、小森参事、田中添乗員、各国の通訳の方々13日間にわたる交流をさせていただき、本当に心からお礼申し上げます。