ヨーロッパ4ヵ国を訪ねて
深川市教育部長 伊東 幸次

はじめに
 道内において、景気の回復が目に見えて進まず、地方公共団体を取りまく環境は一層厳しさを増している中、このたび、北海道市長会主催の「第27回海外都市行政視察調査団」の一員として、ヨーロッパ4カ国を訪問する機会をいただき、貴重な体験をすることができましたことに、理事者をはじめ関係者の皆様に心から感謝とお礼を申し上げます。
 当初予定されていた方が怪我のため、私がピンチヒッターとして参加させていただくことになりましたが、海外は3度目となります。
 成田空港からデンマーク・コペンハーゲン空港まで、週1便のスカンジナビア航空を利用して約11時間半のフライト。国内線の機体より座席間は狭く窮屈。おまけに機内は満席で体のくつろげる空間がない。時間が経つと余計に狭く感じ体が痛くなる。そこは何度も出てくる食事とビール・ワイン・ウイスキーの飲み放題でカバー(?)。やっとのおもいでコペンハーゲンに着いた。

《フィンランド》
 10月19日の早朝、空路コペンハーゲンからヘルシンキに向かう。ヘルシンキの今朝の気温は−6℃とか。車窓から見えた温度計は午前11時で−1℃。気候的には北海道の初冬であり、樹木も白樺や松林など北海道とよく似ている。
 建物はロシア風様式が多いのは歴史的にロシアとの関係が深い由縁であるとのこと。ここの地質は花崗岩がほとんどであり、地震が全くないということで、建物の多くは石造りかレンガ造りで倒壊の心配はないようである。
 フィンランドはスパイクタイヤの発祥の地。冬はスパイクタイヤの装備が義務付けられており、路面に雪が積もることは少ないが、常にアイスバーンのような状態なので、舗装面が剥がされ粉塵が舞うことも少なく、車も人も少ないので環境問題には余り影響がないとのこと。
 生活水準はそれほど低いとは思われないが、勤労者の平均所得がおよそ月27万円で、ここから所得税が約30%、消費税が22%かかる。税金が高く標準的な生活水準を保つため、また女性の社会進出もあることから、夫婦共働きが多くなっているようである。
 フィンランドでは、休暇は日光浴を兼ねての散歩や森まで遠出の散策をされる人が多い。 私たちの訪れた日も日曜日であったので、街の中の公園や郊外の至るところで散歩やウォーキングをされている中年・老年者の姿を見かけた。
 北緯60度になると太陽の位置は日中でもビックリするほど低く、車に乗って太陽を正面にすると陽光が眼に入りまぶしい。
 今回最初に公式訪問したエスポー市では、訪問した4都市の中で唯一市長さんの日程調整がつかず、お会いすることができず残念であった。

◎公式訪問・エスポー市
 首都ヘルシンキの近郊都市として人口急増の都市。戦後、都市計画によって開発された街で、エスポー市は5つの地区に分けられ、各地区にはそれぞれ行政センターと商業エリアを持ち、それを囲むように居住地域が広がっている。

《スウェーデン》
 フィンランドでの視察を終え、ヘルシンキ港からバイキングラインを豪華客船マリエラ号でスウェーデン・ストックホルムに向かう。
 17時30分出港。アーキペルコと呼ばれる数万もの群島の間を縫うように航行し、翌朝9時30分(時差1時間)に到着。15時間の船旅となるが余りの乗客の多さに驚く。夕食は本場のバイキング料理で、肉・魚料理や乳製品、野菜・果物など60種類以上も並び壮観。ビール・ワインも飲み放題。食後は少し狭い船室に全員が集まり日本から持参した乾物と缶詰、貴重な日本酒で盛りあがった。
 日本を出発して以来ビールとワイン漬けであったので、久しぶりの廉価な日本酒も格別な味であった。また、船内には、免税店もあり大勢の客がビールやウイスキーなどを大量に買い込んでいた。
 ストックホルム市は大小14の美しい島からなっており、フィアールガータン展望台からの景観は抜群。市内視察では、まるで中世そのままの狭い路地や石畳のある旧市街ガムラ・スタンを散策。衛兵の交代式が見られたストックホルム王宮。ノーベル賞授賞祝賀晩餐会が開催される市庁舎。ここは市庁舎というよりも宮殿か古城を想わせるたたずまいだ。
 晩餐会場となる「青の間」。昨年度受賞された小柴さんの夫人を王様がエスコートして降りてきた大理石の階段。その途中に小柴さんと田中さんがスピーチした演台。パーティーの舞踏会場となる「黄金の間」の壁面は、1,900万枚を超える金箔モザイクで飾られ豪華絢爛そのものである。
 スウェーデンは住民登録制度がなく、税務署の登録番号制がそれにあたり、転入・転居等をしたときは税務署が窓口となる。
 市庁舎は窓口業務がないためか物静かであった。

◎公式訪問・カルマル市
 昨夜からの降雪で一面が真っ白。ホテルのすぐ傍にある市庁舎でクエル・ヘンリクソン市長を表敬訪問。日本からの訪問客を迎える機会も多く、今年になっておよそ600人が来市されているとのこと。
 カルマル市は、ローカルアジェンダ21に積極的に取り組むことで環境保全と経済発展が両立。企業と大学、カルマル市のネットワークで、いまスウェーデンで一番成長している都市である。

《デンマーク》
 スウェーデン・カルマル市の視察を終え、コペンハーゲンまでオアスン橋(全長16q)を利用して4時間の列車の旅。このオアスン橋はスウェーデン南部のマルメとバルト海を越えてコペンハーゲンを結び、2000年に開通。上は自動車、下は列車が走る二重構造になっており、日本の瀬戸大橋(12.3q)のようなものである。
 今回の視察団は過去最小の6人と添乗員合わせて7人のため、これまでなかった列車での移動が2回。異国の列車の旅は現地の人と触れ合える機会でもあった。
 コペンハーゲンは中世の町並みがそのまま残っており、建物はレンガ造りで重量感のある町並み。町の景観を保つため、路面区間に電柱がなく信号機も低い。街灯の配線は両側の建物からアンカーをとって配線し、架線より吊るす方式である。
 また、都心から自動車を締め出すため駐車場は造らない。あっても高い料金を課す。そのため自転車が主流。列車にも車椅子やベビーカー、ペットのほか自転車までも乗れる車両が連結されている。
 自動車は国産車がなく全て輸入車。自動車税がなんと200%、バスの前を走っていたコロナは24万クローネ(約480万円)もするとか。ですから市民は移動に便利な自転車を利用するそうである。
 道路は車道・自転車道・歩道に区分され、自転車マーク入りの自転車優先ラインがある。この自転車道を横切るときは十分注意が必要。自転車は猛スピードで走るので非常に危険。バスから降りホテルに入るのに自転車道を横切るため注意するよう促された。
 高速道路は無料。このため自動車は一般道の多くの場所から進入できる。
 自動車の免許は、一度取得すると70歳まで更新しなくても良い。70歳前にボケて来た人などが高速道路を誤って逆走するゴーストドライバーが、年に何件か発生するそうです。普通は70歳になると家庭医の診察を受け免許更新のOKをもらうが、この検査で病気が発見され、治療を受けるケースも多いそうである。
 アンデルセンの童話でおなじみ人魚姫の像。
1913年からランゲリニエ桟橋の袂に座り今年90歳。これまで3回も首や腕を切り取られる事件があり、その都度復元されていたが、つい最近、またも何者かによって爆破された。海中から像を発見、現在その修復にかかっており、私たちが訪れたときは台座しかなかった。

◎公式訪問・カルンボー市
 トミー・ディネンセン市長表敬訪問。何と市長さんはジーパン姿である。現地通訳の話では、左派のため少しズレタ考えからこのスタイルとか・・・。
 市の人口は約20,000人。予算は7億7,000万クローネ(約154億円)。ほとんどを高齢者福祉対策に使用。市職員は1,800人(介護職員を含む市職員1,500人。教員300人)で、人口の9%にもなる。
 カルンボー市の地方税は20.2%で、デンマークの中では低い方。これは企業のノボノルディスク社等の企業職員や市民の所得が多いので税率を上げなくても良いとのことである。

《スイス》
 最後の視察地スイスに向け、空路チューリッヒへ。昼食をとるため町全体がユネスコの世界文化遺産に登録されている首都ベルンに寄った後、夕焼けに輝くアイガー北壁の町、グリンデルワルドに到着。山小屋風のホテルから見るアルプスの峰々は時刻によって色・形を変え、その雄大な自然と麓に点在する家々の灯、何とも表現できない感動を覚える。翌日も絶好の天気に恵まれ、登山列車を乗り継ぎユングフラウヨッホへ。
 スイスの人々はすごいことを考える。1895年アルプスの岩壁に穴を空けて、ヨーロッパの屋根の上までトンネルを掘り、線路の間に歯車を噛ませ、16年の歳月をかけ1912年に鉄道開通。全長7.1kmのトンネルを抜けて3,454mの世界一高い駅に着く。
 空気も薄くなることから多少息苦しさを感じる。駅に続くスフィンクス展望台からアイガー、メンヒ、ユングフラウの山々やアレッチ氷河。雲一つない澄みきった空のもとアルプスの大パノラマを全望。絶景の一言である。
 展望台の中に郵便ポスト。日本の古い時代の赤いポストである。日本人観光客が多いためのサービスか。

◎公式訪問・ルガノ市
 ルガノ市は、スイスの南部ティチーノ州にあり、イタリア国境に近い観光・保養地。
スイスのイタリア語圏の中心地。地理的にもイタリアのミラノ市に近いため、ファッションセンスも定評とか。観光を売り物にしているだけに、これまで訪問した市の中で一番の歓迎を受けた。
 日本人に余りなじみのない市であるが、スイス人はもちろん北ヨーロッパの人には昔から人気のあるリゾート地。一年中温暖な気候である。

おわりに
 公式訪問外でも自由時間を利用して町並み散策。訪問国に共通して「建物・町並み景観・文化」などを資産・遺産として大切に保存しながら、実際に活用している姿に感心した。
 公式訪問で私たちのためにレクチュアしていただいた皆さん、各国の地方行政の仕組みや生活習慣、社会保障制度のあらましまで説明していただいた現地の通訳さん、2週間にわたってお世話いただいた添乗員の田中さん、そして秋田団長さんはじめ団員の皆さん、市長会の方々に厚くお礼申し上げます。